東上線の現役煉瓦橋について
実は今回ご紹介した煉瓦橋より、もっと古い年代の現役煉瓦橋が都心寄りの区間にも残されています。
一例として柳瀬川駅周辺では、1914(大正3)年5月の池袋〜川越町(現、川越市)間開業当時の煉瓦
橋のいくつかが、修繕を重ねながら今も輸送を支えています。
また規模の大きなものでは、高坂〜東松山間の都幾川橋梁上り線が、1923(大正12)年10月の坂戸町
(現、坂戸)〜武州松山(現、東松山)間延伸開業当時の現役煉瓦橋として挙げられます。
なお、川越町〜坂戸町間の延伸開業は1916(大正5)年10月。小川町〜寄居間の延伸開業、すなわち
全線の開通は1925(大正14)年7月のことでした。
話のついでに煉瓦橋ではありませんが、鉢形〜玉淀間に架かる荒川橋梁も、開業当時から今日まで
使われ続けている鉄橋の一つです。
煉瓦橋の中には、すでに鉄筋コンクリート製に造り替えられたものもあります。それらは老朽化によるも
のというよりは、主に下を通る河川の改修や道路の拡幅、和光市〜志木間の複々線化のような大規模
な輸送力増強工事などに伴う造り替えが多いようです。煉瓦製の建造物というのは、なかなか頑丈なも
のなのですね。そう言えば、今年4月に国指定重要文化財になった東京駅丸ノ内本屋(駅舎・駅ビル等
の意味)も煉瓦製です。第2次世界大戦中に空襲で焼失した3階部分やドーム屋根などの復元計画も
あり、喜ばしい限りです。1914(大正3)年12月の竣工ですから、東上線の煉瓦橋とも同世代ですね。
さて、今回の複線化工事で煉瓦橋はどうなるのでしょう。見かけはいかにも古めかしい橋ですが、これは
とても興味深いものがあります。
東上線命名の由来について
「東」は多分東京の意味だろうと容易に想像できますが、「上」はなかなか思いつかないかもしれません。
東上線は最初、東京の小石川と群馬の渋川とを結ぶ目的で、東武鉄道の関連会社、東上鉄道として開
業しました。「上」は上野(こうづ・け)、古くは上毛野国(かみつ・け・ぬの・くに)の頭文字、つまり群馬県
の旧国名を表していたのです。ゆくゆくは新潟県の長岡まで路線を延ばす計画もありましたが、寄居から
先は国有鉄道(現、JR)の事業として完成されました。東上鉄道と東武鉄道は1920(大正9)年の不況下
に経営合理化のため合併したため、今の坂戸から先は当初から東武鉄道東上線として開業しています。
●おすすめ関連サイトのご案内
「東上沿線
今昔物語」
当サイトと相互リンクしていただいている、嵐山町ご出身の山下龍男さんのサイトです。
先述の柳瀬川駅や川越駅周辺の煉瓦橋のレポート、都幾川橋梁の車窓風景など、時代とともに移り行く
沿線の様子が現地調査も踏まえながら綴られています。
「日本煉瓦製造(株)公式サイト」
知る人ぞ知る、東京駅丸ノ内本屋の建設にも使われた煉瓦を製造した、由緒ある煉瓦製造会社です。
創業は1887(明治20)年10月。工場は当初から、今の埼玉県深谷市において稼動。煉瓦の大量生産を
目指し国策として建設された、日本最初の機械式煉瓦工場です。東武鉄道初代社長の根津嘉一郎(1代
目)との関係も深く、一時は日本煉瓦製造の分工場として、東武伊勢崎線の杉戸(現、東武動物公園)駅
の近くに東武煉瓦(仮称)を設立する計画もあったそうです。1907(明治40)年頃のことでした。
東上線の煉瓦橋にも、日本煉瓦製造の製品がふんだんに使われていることでしょう。
「渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり」
JR高崎線深谷駅の橋上駅舎は、東京駅丸ノ内本屋を模した煉瓦外装で地場産業をアピールしていま
す。郷里が生んだ偉大なる実業家で、日本煉瓦製造会社設立にも尽力した渋沢栄一翁を紹介する、
深谷市役所運営のページです。
「TOBULAND
東武鉄道沿線情報」
東武鉄道の利用者向け公式サイトです。
「買う」欄から下記参考図書の申し込みフォームへアクセスできます。
参考図書 : 『東武鉄道百年史』
(正史[本史][資料編]) (1998年10月 東武鉄道(株)発行)
※本書は発行時に東武沿線の各図書館へ配布されています。
管理人より
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がありましたらメール〔otayori@hiki-life.net〕にてご一報いただければ幸いです。 |