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2005年05月16日

尼崎JR脱線事故について (その1)

4月25日午前9時18分頃、兵庫県尼崎市で発生したJR西日本宝塚線(福知山線)脱線事故から、今日で3週間が経ちました。
この日、伊丹駅を1分半遅れて発車した上り快速電車は、遅れの回復運転で速度を上げたまま現場の急カーブに進入し、転倒脱線を起こしたようです。
死者107人、負傷者461人(5月1日現在)という大惨事に、私も胸が重苦しくなるような思いで毎日を過ごしています。
今はただ、お亡くなりになられた方々のご冥福と、怪我をされた方々の1日も早い回復をお祈りするばかりです。

 西日本旅客鉄道(株) JR西日本公式サイト
 国土交通省福知山線における列車脱線事故について
    同   :航空・鉄道事故調査委員会

 *通信社&新聞各紙 4月25日以降の関連記事リンク集*
 共同通信社ニュース特集・尼崎JR脱線事故
 「神戸新聞」特集・尼崎JR脱線事故
 「朝日新聞」ニュース特集 尼崎・列車脱線事故
 「読売新聞」特集 尼崎・脱線事故
 「毎日新聞」尼崎列車脱線特集

ご無事だった伊丹市の村山茂さん

覚えておられる読者もいらっしゃると思いますが、昨年このブログに12月4日付で、「『阪神・淡路大震災から100学んだ』出版 (伊丹市の村山茂さん)」という記事をご紹介しました。
村山さんも伊丹駅は日常的によくご利用になるので、私も事故直後から安否がたいへん気がかりでした。
その後、メールでご家族の皆さまとも事故には遭われなかったことがわかり、本当にほっとしました。

現場となった尼崎~塚口間の急カーブは、私も村山さんのお宅を訪問する際、何度か通ったことがあります。
数年前なのでまだ快速のスピードアップはされていませんでしたが、自分が乗ったことのある区間で、乗ったことのある207系電車が、まさかあのような大惨事を起こすなんて。
直後のテレビ中継を目にしたとき、私は愕然として何も言えませんでした。
事故の真相は、警察や事故調(国土交通省航空・鉄道事故調査委員会)の報告を待つよりほかにありませんが、当事者のJR西日本も調査に協力すべく、情報開示を積極的に進めて欲しいと思います。

どのような性格の事故だったのか!? 今後の対策は!?

 ・1962(昭和37)年5月3日、国鉄(現JR東日本)常磐線三河島事故
   …死者160人、負傷者296人
 ・1963(昭和38)年11月9日、国鉄(現JR東日本)横須賀線鶴見事故
   …死者161人、負傷者79人

「三河島」、「鶴見」とも、日本の鉄道史上で重大事故の象徴のように語り継がれてきた事故です。
いずれも、貨物列車の脱線現場に2本の電車が相次いで巻き込まれるという、悲惨な多重衝突事故でした。
その後、事故の教訓からATS(自動列車停止装置)が全国に普及し、また脱線原因についても実験線で実物車両を用いた詳細な研究が進められました。
死者50人を越す大事故は今回の脱線事故まで42年間皆無で、それだけに日本の鉄道界が誇ってきた「安全神話」の崩壊は世界中に衝撃を与えたと報じられています。
現場へは反対方向からも特急が接近中でしたが、その運転士が前方の異常に気付き緊急停止するとともに、防護無線で付近の列車を一斉停止させたとのことです。
危うく二重三重の事故になるのを回避できたのは、正に不幸中の幸いでした。
かつての大事故を知る人なら、誰もが今回の事故から当時のことを思い出したことでしょう。

スピードを出し過ぎ、急カーブで脱線。
私ははじめ、これは極めて初歩的な事故なのでは、という印象を抱きました。
と同時に、JR西日本の経営や労使関係などに、何か固有の問題が潜んでいるのでは、とも疑いました。
しかし事故の背景が徐々に明かされつつある今、かつて経験し得なかった新たな課題を鉄道界全体に突きつけた事故なのでは、とも思い始めています。

高度経済成長最中の首都圏で起きた60年代の大事故は、急激な運転本数増に現場の設備や技術が追い着かなかったという社会的背景がありました。
それゆえ、事故後の様々な対策は国家プロジェクトとして、国の予算を用いて進められてきたわけです。
一方今回の事故の背景としては、現場付近を並走している阪急宝塚線に対する、過度なスピード競争の存在が指摘されています。
そのことから、マスコミの報道はJR西日本の経営のあり方に対し、関心が集中してしまっているようです。

後で述べますが、私はいろいろと調べてみた結果、鉄道技術はハード、ソフトとも、まだまだ発展途上中にあるのだと、認識を新たにしました。
その可能性が活かされるかどうかを考えたとき、当事者となる特定の鉄道会社に経営責任を負わせるだけでは、鉄道の将来に水を差すだけで何の展望も開けないのではないかと心配しています。
この事故を契機に、整備新幹線やリニアモーターカーなどと同じくらい、在来線の安全対策や可能性についても、社会全体の関心や期待が注がれることを望んでやみません。

長くなりますので、尼崎JR脱線事故について思うことは、今後数回に分けて述べたいと思います。
また、比企地域と都心とを結ぶ主要鉄道網のひとつである東武東上線についても、後ほど検証してみたいと思っています。

参考ブログのご紹介

田中邦裕さんのブログ、『たなか@さくらインターネット』の5月11日付記事、
「実は裏付けの無い最高速度」にトラックバックします。

尼崎JR脱線事故についてネット検索していたら、偶然にも、さくらインターネット(株)取締役最高執行責任者という方の個人ブログを発見しました。
管理人の田中邦裕さんは、私も昨年秋からブログCGI「Movable Type」設置を機に利用させていただいている同社レンタルサーバサービスの創業者です。
もちろん、田中さんご自身も「Movable Type」の愛用者(そうでなくっちゃ!)。
自己紹介を読ませていただいたら、何とお生まれは1978年! 27才という若さではないですか(羨ましい)。
創業はまさに、日本のインターネット黎明期にあたる1996年。舞鶴工業高専在学中だった18才のときから、この事業を始められたんですね。
同社の料金設定は極めてリーズナブル。サービスメニューも無駄なく充実。サイトデザインも私好みです(公式サイトはこちら)。
田中さんがいなかったら、今の私のサイト運営もあり得なかったんだろうな~と感じています。とっても頼もしい限り(^^)
(そう言えば、さくらインターネットとの出会いも、偶然アフィリエイト広告を目にしてでした。)

さて、もう一度田中さんの自己紹介にお話しをもどしますと、ご趣味は「旅行」とあります。具体的にはやはり、「鉄道旅行」(嗚呼、懐かしい響き…)なのでしょうか?
脱線事故に関する一連のブログ記事を拝読しますと、鉄道について非常に造詣が深いので驚きました。

新幹線の実験中に車輪の蛇行動で脱線しかけたと言う話がありました。しかし、これは乗客を乗せる前の実験段階であり、その後も繰り返し実験行い、ある程度の確証を得た上で制限速度を設定しました。〔中略〕今後、シミュレーションや実験などの客観的な裏付けを行い、根拠のある速度制限の方針を明確に打ち出し、安全が担保できる最高速度を設定していくことが、国に突きつけられた大きな課題ではないでしょうか?

とのご意見には、大いに共感を覚えます。皆さまにもご一読をお勧めします。

〔続く〕

項目: 東武・JR

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