メイン
« ニコンD200の衝撃 (その1)
| ニコンD200の衝撃 (その3) »

« 2006年02月以前 メイン | 2006年03月以降 メイン »

2005年11月03日

ニコンD200の衝撃 (その2)

ニコンD1Hの思い出

1999年。
この年はデジタル写真界にとって、非常にエポックメイキングな年でした。
コンパクトデジカメが各社共200万画素台に突入し、インクジェットプリンターも、写真として十分鑑賞に耐えられる画質を持つ製品が続々登場したのです。
そして、忘れもしない、その夏のニコンデジタル一眼レフ、D1の発売です。

定価65万円(バッテリー別)。それこそがD1のセールスポイントでした。
270万画素弱のスペックでこの値段というのは、今思えばまだまだ高価ではありました。それでも、コダック製の同水準の機種が200万円以上もした当時の相場からは、これからいよいよあらゆるジャンルの写真のデジタル化が始まるのだ、という確信を抱くのに十分な出来事だったのです。
私が本気で自分のパソコンが欲しいと思ったのはその頃でした。そして翌年の正月、プリンターとセットで初めてのパソコンを手にしたのです。

2年後の2001年夏、D1は細部の操作性が改良されるなどして、定価も47万円(バッテリー別)に抑えられ、D1Hとして再登場しました。
私も意を決して、発売されたばかりのD1Hを初めてのデジタル一眼レフとして購入したのです。

中学時代からペンタックスユーザーだった私が、同社がすでにデジタル一眼レフの試作品を発表していたにもかかわらず(そのときは製品化に至りませんでしたが)、あえてD1Hを選んだのはその連写性能に惹かれてのことでした。
フィルム交換に煩わされるようなことなく、またその費用に悩まされるようなこともなく、5コマ/秒の高速大量連写に没頭できるカメラ。
デジタル化が写真表現にもたらすものとは何か? という課題を自らに問う意味でも、私はこの高速大量連写を実際に体験してみる必要があると感じていたのです。

結局、270万画素弱の画質には少々物足りなさを感じ、倍の画素数を持つ兄貴分のD1X(連写は最高3コマ/秒。定価59万円、バッテリー別。)まで購入することになったのですが、D1Hの方はあまり出番の無いまま2年が過ぎてしまいました。
そしてペンタックスの待望のデジタル一眼レフ、*istDの購入を境に、大きく重たくバッテリーも嵩張るD1兄弟は急に色褪せて見えるようになり、レンズ一式すべて売却してしまったのです。
後日ときどき、*istDに比べてはるかに動体に強いオートフォーカスや、微妙なシャッターチャンスをも逃さない短いシャッターレリーズタイムラグ、雨や埃にも安心な防滴、防塵構造が恋しくなるときはありましたが。

そして新たな再会へ

D200はもちろん、上位機種のD2シリーズには及びませんが、かつてのD1兄弟が同時にかかってもかなわない、それらに勝るとも劣らないスペックを持ち合わせて登場しました。
あくまで個人的な感想ですが、D200は2002年春登場の中級機、D100(定価30万円、バッテリー類込)の後継機というより、D1兄弟の正常発展型モデルのようにも思えました。しかも画素数は1020万画素にまでアップしています。これは、フィルムで比較すると6×7判に迫る高画質が期待できる画素数です(プリントで観賞する場合の見かけ上の目安として)。
扱いやすい大きさ、重さでありながら、クオリティの高い画像を、一息に高速大量連写できるシステム。
それが、学生でもアルバイトをすれば手に届く値段で実現したのは、私が知る限り、これが世界で最初の出来事です。
写真とは何か? どのような表現が可能なのか? そのことを問う新たな基準が今、広く一般に開かれたのです。
D200。それは写真を撮る多くの人々に対し、至ってフェアな存在だと言えるでしょう。

〔続く〕

項目: 写真・カメラ

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://hiki-life.net/mt3_2/mt-tb.cgi/2030

« 2006年02月以前 メイン | 2006年03月以降 メイン »

« ニコンD200の衝撃 (その1)
| ニコンD200の衝撃 (その3) »
メイン | 上へ↑