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2006年01月03日

2006年を迎えて -カメラとネットをツールに-

出版社時代に私が編集部で仕事を学んだ期間は短かったのですが、その間常々上司から言い聞かされてきたことは、「先ず読者の側に立って原稿に接しなさい」ということでした。
同時に、「著者と一緒になって原稿に酔ってはいけない」とも。
辛い役目でしたが、著者との打合せの段階で折角の原稿をお返ししたり、ご多忙を承知で書直しをお願いしなければならないこともしばしばでした。
どのような読者が何のために、どういった本を求めているのか?
その視点さえ明確な企画なら、必ずそこから得られるものがある、ということを教えていただいたと思っています。

今、新年を迎えながらも、過ぎた当時をつい昨日のことのように思い出します。
このサイトについてもそうなのですが、今は自分が写真を撮ったり文章を書いたりと、言わば著者の立場に立っています。
ベテラン編集者のクールな眼で見られたとしたら、果たしてその採点はいかがなものでしょう?
正月とは言え、自分の原稿にではなく、酔うなら“お酒”でほどほどに。
肝に銘じなければと自らに言い聞かせている、今日この頃です。

パブリック・ジャーナリストとして

さて本日1月3日の夕方、ネットを見ていたらライブドアニュースセンター長補佐でご自身もライブドアのパブリック・ジャーナリストでもある、小田光康さんの「広がるマスコミ被害、メディア批判の必要性」と題するアップロードされたての最新記事が目に留りました。
パブリック・ジャーナリスト(募集概要)とは、「livedoorニュースが認定した市民記者です。インターネットを活用し、これまでのマスコミが報道できていなかった様々な問題や話題を、多様な視点から取り上げ、取材・発信することが期待されています(ライブドアパブリック・ジャーナリストについて より)。」

小田さんは「犯罪被害者への救済策などを盛り込んだ犯罪被害者等基本計画が昨年12月27日に閣議決定された」ことについて、「集団的過熱報道(メディアスクラム)といった『マスコミ被害』の重大さを無視してきたマスコミによって、市民一般が有する取材・報道の自由や、国民の知る権利までもが制限されてしまった」ことを指摘し、「マスメディア界はその自助努力でチェック・アンド・バランスが可能だと再三にわたって主張してきた。だが、昨今の頻発する不祥事からしても、もはやそれも空論、いや欺瞞(ぎまん)であることが判明してしまった」と、この記事の中で結んでいます。
ここで述べられた「空論、いや欺瞞(ぎまん)」の文字を見るとき、私は昨年8月11日付の「朝日新聞」社説、「61年目の出発 ホリエモンの予言」を思い出さずにはいられません。「敗戦から60年。人も、社会も、大きな節目を迎える。ここから日本はどこへ向かうのか、シリーズで考える(2005年8月11日付「朝日新聞」社説より)」とした第1回目でしたが、その一部を抜粋します。

(ホリエモンことライブドアの)堀江社長は、もうひとつ予言した(※)。「市民が情報を発信する時代になる」というのだ。
〔中略〕
ネット社会では個人がブログなどで発信する。インターネットは世界最大の口コミ網だ。そんな内容である。
市民からの発信が盛んになるのは悪いことではない。しかし、である。報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう。

(※編注:1つ目の予言は「ネットと放送の融合を加速させる」 というもの。)

 (上記 2005年8月11日付「朝日新聞」社説より)

小田さんは記事中、「去年、戦後60年を迎えた。政府や政治家、省庁や官僚に対する戦争責任について問う報道は数多くあった。それはそれでいい。しかし、ついに戦前・戦中の大政翼賛広報機関と化した現存する大手マスメディアが、自らの戦争責任について言及することはなかった」とも述べられています。
「戦前・戦中の大政翼賛広報機関と化した現存する大手マスメディア」の実態については私も昨年夏、東京都写真美術館10周年特別企画コレクション展第3部「再生 12人の写真家たちと戦争」で目の当たりにしました。同展挨拶文の冒頭に、次のような解説がありました(抜粋)。

1930年代に入って出現したフォトジャーナリズムは、写真がその媒体の長所を生かすことができる新たなジャンルとして、多くの写真家たちが夢と希望を抱きました。しかし1937年に日中戦争が勃発し、日本中のすべてが大きな戦争へと巻き込まれていく中、フォトジャーナリズムも国策プロバガンダのための道具として利用されていきます。これは写真家たちが期待し、望んでいたフォトジャーナリズムとは違っていました。自分たちが苦心して撮ったものが、時には切り刻まれ、偽装するために別の写真に作り替えられるなど、写真家たちにとって屈辱に堪えなければならない苛酷な状況だったからです。

 (上記 企画展「再生 12人の写真家たちと戦争」挨拶文より)

テレビやラジオ、新聞など、マスメディア事業には莫大なお金がかかります。その費用は視聴者や読者からの直接収入だけで賄えることはほとんどなく、広告収入など経済界(ときに政界)や国家の支えなくして運営は成り立たないのが実情です。
先の「朝日新聞」の社説を読み返すと、そのような自らの置かれた状況に対する認識がそこにはあるのか、疑問に思えてなりません。
社説とは読者に向けてのメッセージだと私は受け止めているのですが、「報道の専門集団のいない社会では、だれが情報を発掘し、真偽を見分けるのだろう」との問いかけの先には、読者の姿が見えてきません。
マスメディアから視聴者や読者が離れ、経済界や政界、国家に事業運営の多くを委ねざるを得なくなったとき、小田さんが述べられた「戦前・戦中の大政翼賛広報機関」のような大手マスメディアが復活しないとも限らないのです。
小田さんは記事の最後で、「今年は、市井の人のパブリックな視座から、権力化したマスメディアを監視しつつ、マスコミ被害に関する報道や、メデイア・クリティーク(批判)に力点を置いていきたい」と抱負を述べられています。
私はライブドアのパブリック・ジャーナリストに応募するつもりはありませんが、カメラやネットをツールに市民の視点で発信していく以上、ローカル情報専門ながらもパブリック・ジャーナリストの一員であることを自覚し、2006年を迎えようと思っています。

ご参考として、ライブドアのパブリック・ジャーナリスト募集要項から、挨拶文の一部を抜粋します。募集は2004年11月18日から随時行われているようです。

日本社会は高度成長期を経て世界の経済大国の仲間入りを果たしました。しかし、国民一人ひとりの豊かさへの実感はいまなお不十分です。一体それは何が問題なのでしょうか。そこで、livedoor ニュースでは、インターネットを活用したパブリック・ジャーナリストシステムを構築、それを通して生活の現場、仕事の現場から寄せられた生の声をお届けすることで、豊かさを感じさせない日本社会の問題点に光を当て、それらを一つひとつ解決に導いていく一助になりたいと考えています。

 (上記 ライブドアのパブリック・ジャーナリスト募集要項挨拶文より)

「朝日新聞」2006年1月1日付社説に思うこと 〔1月4-5日追記〕

先の例もそうなのですが、この頃「朝日新聞」の社説はどうも変だ、と感じている人は少なくないのではないでしょうか。
新年早々の社説からして何だ? と思わせるような見出し。
「武士道をどう生かす 2006謹賀新年」。

 1月1日付「朝日新聞」社説:武士道をどう生かす 2006謹賀新年
  (△公開期間は1週間)

昨年は郵政民営化で勝者と敗者が明暗を分けた。織田信長を好む小泉首相は気迫で総選挙の勝負に出ると、造反派のもとに「刺客」を送る非情さも見せた。
〔中略〕
「戦国武将に比べれば、いまの権力闘争などなまっちょろい」
甘えやもたれ合いの時代が去ったからこそ、これが余計受けたのか。いまは能力や成果を争う「競争」の時代だ。
しかし、それはちょっと嫌な言葉も生んだ。「勝ち組」と「負け組」である。

 (上記 2006年1月1日付「朝日新聞」社説より)

冒頭からの抜粋ですが、ここで私は、ライブドアの堀江社長がご本人の意思とは無関係に当の「刺客」扱いされてしまったことについて、コメントするつもりはありません。気になるのはこの続きです。
小泉首相の靖国神社への参拝が「せっかく緒についた『東アジア共同体』の機運にも水を差してしまった」と述べたかと思うと、「武士道」に関する2冊の本から一部を引用し、こう続けています。

1世紀ほど前、新渡戸稲造は英語で出版した名著『武士道』のなかで、「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠(そくいん)の情」のことである。
最近では数学者の藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』でそうした側面を強調し、武士道精神の復活こそ日本の将来のカギを握ると唱えている。
ならば「武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯(ひきょう)なこと」(藤原氏)だった日中戦争に、いまだけじめがつかないのでは話にならない。あの時代、アジアでいち早く近代化に成功した「勝ち組」が「負け組」に襲いかかったのがこの戦争だった。

 (上記 2006年1月1日付「朝日新聞」社説より)

「勝ち組」が「負け組」に襲いかかった、とは本当に妥当な認識でしょうか?
ここで、「明日、60回目の終戦記念日を迎える。あの戦争は、もう1年早く終わらせることができたのではないか。 開戦の愚は置くとして、どうしてもその疑問がわいてくる」との書き出しで始まる同新聞の昨年8月14日付社説、「なぜ戦争を続けたか 戦後60年に考える」についても振り返ってみましょう。

政治家や軍人は戦後になって、「戦争は欲しなかった」と口をそろえた。
手厚い待遇を受け、安全な場所にいる高官たちは、政策を決める会議で自ら信ずるところを発言する責任がある。それを果たさなかったという告白だ。そんな無責任な指導者のもとで命を落とした数百万の人たちはたまらない。
つまるところ、指導層のふがいなさに行き当たる。あの無残な1年間の理由はそれしか考えられない。
確かに、戦争終結への動きを憲兵がかぎまわり、軍部には負けを認めぬ狂信的な一団がいた。だが大臣や将軍たちにはそれを抑える権限と責任があったはずだ。ところが、行きすぎを本気でただした形跡はほとんど見つからない。
検閲があったとはいえ、新聞も追従する紙面を作った。重い戒めとしたい。
〔中略〕
さて、いまの時代である。言論の自由がある。もちろん、会社で上司に異を唱えれば冷遇され、場合によってはクビになるかもしれない。
だが60年前と比べれば、筋が通った説に理不尽な仕打ちはしにくい時代だ。それなのに、明らかに被害が膨らんでいくばかりのときに決断を先送りする体質と、われわれは別れを告げただろうか。
惰性で続く公共事業、経営の暴走による企業破綻(はたん)。戦争とは比べられないが、思い当たる事例は余りに多い。
逃げずに決断するのは容易ではない。しかし、その強さを持つことが真の豊かな社会につながるのではないか。

 (上記 2005年8月14日付「朝日新聞」社説より)

思うに、欲しない戦争を仕掛けるというリスクを犯さざるを得ないほど、どちらかが追い詰められていたこと自体、最早どこにも「勝ち組」など存在し得なかったのではないでしょうか。そもそも、「卑怯(ひきょう)なこと」だと説明するのに、わざわざベストセラー本の言葉を借りて「武士道精神に照らし合わせ」るまでもないことのように思えます。かえって問題が本質からそれてしまったようです。
同新聞の社説も担当する委員によって論調が変わるようですが、大会社ですから内部にも様々な意見の違いや葛藤を抱え、編集方針が揺れ動いているのかもしれません。比べるなら昨年8月14日付の社説の方が、事実をありのまま語っているようです。また、先の8月11日付社説から3日あとにはなりますが、「重い戒めとしたい」の一言からは報道人としての良心がうかがえ、救われる思いがしました。「筋が通った説」ですが、勇気の要る発言です。

再び「武士道をどう生かす 2006謹賀新年」に戻ります。この社説では、最後にこう話をまとめています。

武士道で語られる「仁」とは、もともと孔子の教えだ。惻隠の情とは孟子の言葉である。だからこそ、子供のけんかをやめて、大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点である。秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年としたい。
〔中略〕
(「勝ち組」と「負け組」との)国民の二極分化が進む日本では、まだまだつらい改革が待っている。競争や自助努力が求められる厳しい時代だからこそ、一方で必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。
自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい。

 (上記 2006年1月1日付「朝日新聞」社説より)

「つらい改革が待っている」とありますが、この一文にしても「隣国との付き合い方」に関する「武士道」云々の引用の仕方にしても、本気で読者の側に立って、そこまで歩み寄って書かれたものなのでしょうか? 「自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい」との表現に、読者はそうあって欲しいと訴えるメッセージというより、自分はそうするつもりだという「勝ち組」の優越感への自己陶酔にも似たものを感じてしまうのは、私の心が貧しいせいなのでしょうか?
「競争や自助努力が求められる厳しい時代」に、結局この社説は迎合する形で終わっていますが、どうもすっきりしません。「思いやる」という精神論以前に、もっと具体的に、相手も自分も追い詰めるような不毛な行いは避ける知恵を見出さなければいけないのではないでしょうか。活かし合えるはずなのに、お互いそれができないとしたら、行き着く先にはそれこそ貧しいだけの「日本社会の将来」しか待っていないような気がします。『国家の品格』について、私はまだ読者によるいくつかのレビューしか目を通していなのですが、著者である藤原正彦さんが望まれているのは、そんな「日本社会の将来」ではないはずだと思うのですが。

たとえ貧しくても豊かさが実感できる、そんなふる里の将来を思い描きながら、私は身近な日本の風景を撮り続けていきたいと思っています。

長くなりましたが、最後に、『国家の品格』出版元の新潮社公式サイトに掲載されている同社の月刊誌、「波」2005年12月号の特別対談から、
藤原正彦さんの言葉の一部を紹介させていただこうと思います。

(アダム・スミスのころから、それぞれの人間が利潤を最大にするように利己的に働けば、社会全体が神の見えざる手に導かれるという)予定調和でこの社会がうまく行くと。しかし、そこにあるのは結局、お金の概念だけなんです。人間の幸福はどこにもない。現在はやっている市場経済も全く同じです。何をするにも「消費者のため」と言いますよね。消費者が安く米を買えれば、日本から百姓がいなくなって、美しい田園がなくなってしまっても構わない、と。
つまり、流行中の新古典派経済学は根本的に間違っていると思うのです。人間の幸福は眼中になく、個人や社会の富裕度をいかにして高めるかしか考えない。「穏やかな心で生きる」を価値として認める余地などどこにもないですから。
〔中略〕
私がこの本で「国家の品格」の条件としたのには四つあって、その中の一つが「美しい田園」なんです。美しい田園が保たれていることは、その国が金銭至上主義に毒されていない証です。もう一つ、学問や芸術など、「役に立たない」活動が盛んであること。こうしたものがなくて経済だけが発展している国は、腹の底で世界中にばかにされるんですね。
「国家の品格」を守るためには、たとえGDPが半分になってもいい。日本の人口はこれから半分になりますが、GDPも半分になればいい。たかが経済です。それよりも、美しい田園や、伝統的な国柄を取り戻す。そのことを、また戦闘的ですけれども、今度は全ての日本人の首っ玉を捕まえて教え込みたいんです(笑)。

 (上記 「波」2005年12月号:特別対談 山田太一×藤原正彦より)


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 livedoorニュース:2006年1月3日17時50分付記事
  広がるマスコミ被害、メディア批判の必要性
 この記事の最初の方でご紹介した、小田光康さんによる記事です。

 木工房・ソロNo Blog,No Life! 1月2日付記事
  TESSARの故障、朝日新聞の昨日の「社説」
 小川町の木工芸家にして生粋のブロガー、soroさんのブログです。
 元旦の「朝日新聞」社説に触れられ、
 「(日本が反省すべきことは)軍産複合体制のアメリカのネオコン政権に
 かたく連帯してしまっている日本のネオリベ政権を、日本国民の6割以上
 が支持しているという現実にあるのではないでしょうか。
 そして、その支持の背景には、体制側に身を寄せてしまったかのような、
 マスメディアの報道の変質があるのかもしれません」
 と、鋭く指摘されています。コメント欄での、
 「私たちは、こんなマスメディアに対してもどんどん批判していくべきで
 しょうね」
 という訴えに、私も同じ思いを抱きました。

項目: テスト , 写真・カメラ , 日常・雑感

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コメント

トラバ、ありがとうございました。(^-^)/
ヒロキさんのエントリー、とても勉強になりました。
今年もいろいろと刺激してください。

投稿者 soro^^ ~ : 2006年01月05日 22:37

soroさんのエントリーこそ、いつもたいへん勉強になります。
今年もどうぞよろしくご指導お願いいたします。
ところで、元旦の「朝日新聞」社説には、
小泉首相の靖国神社参拝について次のようにも書かれています。

 「なぜ、わざわざ中韓を刺激して「反日同盟」に追いやるのか。
 成熟国の日本にアジアのリーダー役を期待すればこそ、
 嘆く人が外国にも少なくない」

「期待」が本当ならもちろん光栄なことなのでしょうけど、その役に
あまりこだわろうとすると、道を誤るような気がしてなりません。
それより、どうすれば世界の人々から日本に、私たちの社会に、
もっと憧れや愛着を抱いてもらえるようになるのか。
その術をさがし続けることの方が、ずっと大切なように思えます。

投稿者 ヒロキ : 2006年01月07日 01:12

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