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2006年12月31日

写真の今日まで(大晦日の夜に思ったこと)

音楽表現に関わっておられる方にお伺いします。
例えばピアノ。歴史のあるポピュラーな楽器ですが、世界中のメーカーが儲からなくなったからといって一斉に生産をやめたり、修理や調律をしてくれる業者がいなくなったりするような事態を、果して想像できるでしょうか? ピアニストにとって、代わりにキーボードか何か、ほかの楽器をこれからはお使いくださいと宣告されるようなものだと思うのですけど、もし本当にそのようなことになったらどうしますか?

美術表現に関わっておられる方にもお伺いします。
日本画や書画に欠かせない和紙。その代表的な原料である楮(こうぞ)の栽培や伐採があるとき突然、何らかの事情により国際条約で禁止されたとしたらどうでしょう?

写真表現に関わっている私たちにとってこの1年間は、決して大げさな話ではなく、そのような事態に等しい現実と向き合わされた1年でした。

「カメラ年鑑 2007」(日本カメラ社刊)が先ごろ出版され、書店で手に取った私は改めて思い知らされました。フィルムで写真を撮ることが当たり前だった時代は、2006年を最後に本当に終わってしまったんだな、と。この本は、日本国内の店頭で買うことのできるあらゆる写真用品を網羅したカタログで、カメラや交換レンズ類についてはほとんどすべての現行製品を知ることができるものです。あれほど身近な存在だった35mm判フィルムを使うカメラが、信じられないくらい激減してしまったことを、誌面は如実に物語っていました。
もちろん、新製品が全く無いわけでもないのですが、ごく安い手軽なものがほんの少しと、あとは趣味性の強い高価なもの、特殊な用途のものなどに種類は絞られてしまっています。

写真を専門に教える学校では、大掛かりな機材は借りられるものの、自前でレンズ交換のできる35mm判一眼レフカメラをそろえることが、半ば入学の際の必須条件になっていました。
私の学生時代は国内外にたくさんのメーカーがあり、誰もがみな思い思いに好きなカメラを選んで、課題作品の制作や実習に臨んだものです。
どのメーカーのどんなカメラを使うか、またどのフィルムをどう現像し、どんな印画紙にプリントするかといったことが、その人の作風や撮影の姿勢に物心両面で強く影響を与えていることが少なくなかったようです。

生産中止から間もないうちなら、まだ店頭に在庫があったり、中古市場に安くて程度の良いものが流通していることもあります。今はまだそうした余韻がいくらかは残っていますが、それも時間の問題。付属品の販売や修理、調整等、メーカーのアフターサービスもいずれは打ち切られてしまいます。
私の母校の今年度のカリキュラムを、公式サイトで調べてみました。デジタル写真に関する教科が以前に比べ目に留まるようになってきましたが、まだカリキュラム全体の体系の中に組み込まれるまでには至っていないようです。来年度もたぶん、大きな変化は見られないでしょう。

来春入学する学生の皆さんは、果たしてどんなカメラを探すのでしょう。また、学校の先生方はガイダンスでどのようなアドバイスをされるのでしょうか。
気がかりなのは機材だけではありません。フィルムや印画紙、現像薬品類も不自由なく調達できるか、そのことも気になります。何しろ私の学生時代でさえ、実習や課題の提出が近づくと、校内の売店はもちろん池袋や新宿の大きな店まで、それらが一時的にですが品切れになることもあったのですから。

誤解を招かないうちにお断りしておきますが、私が比較的早い段階からデジタルカメラでの撮影を始めたのは、決して将来を見越してそれが自分の仕事にプラスになるだろうと考えたからではありません。私が初めてデジタル一眼レフ、ニコンD1Hを購入したのは2001年夏の発売直後ですが、それはあくまで趣味に使うことが目的でした。当時はまだサラリーマンで、会社を辞めることなど夢にも思わず、業務で使う機会の増えたパソコンの勉強にもちょうど良いと考えたからでした。社会人になってからはすっかり写真から遠ざかっていたのですが、パソコンを覚えコンパクトデジカメでフィルム代や現像代を気にせず写真が撮れるようになったことから、忘れかけていた撮影の喜びをもう一度味わってみたくなったのです。

最近は、私がいただく撮影の仕事もデジタルカメラによるものがほとんどになりました。ですが、写真表現の手法としてそれを見た場合、戸惑いがないわけではありません。その発表形態がプリントでもスクリーンやディスプレイ上での再生でも、カメラが捕えることのできる色彩や明暗の諧調を、どの関連機材もまだ十分引き出せるレベルにまで技術的に達していないからです。

どのような分野でもそうですが、学習のプロセスというのは先生から生徒へ、先輩から後輩へと受け継がれながら発達し、伝統ある貴重な共有財産になっていくものだと思います。「伝統は壊されるためにある」という言葉もありますが、それは絶えず創造し続けられるものだという意味の裏返しでもあります。
写真の学習プロセスが今、必ずしも崩壊してしまったとは思いません。しかし2007年からはいよいよ、かつてないような混迷を極める時代に入っていくように、私には思えるのです。

項目: 一般 , 写真・カメラ , 日常・雑感 , 管理人からのお知らせ

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