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2007年02月06日
柳沢発言に見る「産む機械、装置」とはどのようなものか?
*2月4日付記事の続きです。次の各記事へトラックバックします。
「J-CAST ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
「livedoor ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
そもそも、「産む機械、装置」とはどのようなものか?
1月27日に松江市で開かれた自民党県議の後援会の集会で柳沢厚生労働相が発言した内容について、非難の声が高まっています。
「朝日新聞」:2007年1月28日付記事(抜粋)
→「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
この件について柳沢厚労相は、次のように釈明しています。
「朝日新聞」:2007年1月30日付記事(抜粋)
→「支持率下がったら本当に残念」柳沢厚労相が釈明
柳沢厚労相は30日の閣議後の記者会見で、自らの発言が「非常に不適切だった」と改めて陳謝し、内閣支持率が下がる可能性については「もしそういうことがあれば、本当に残念ですし、大変申し訳ない」と話した。「人口推計を説明するためにそういう表現をしてしまった。一般的にそういう考え方をもっているわけでは全くない」と述べ、国会での議論を通じ釈明する考えを示した。
「人口推計を説明するために」「産む機械、装置」という表現をしたそうですが、少子化問題を考える上で果たして分かりやすい説明に結びつくのでしょうか?
仮に受精卵を出産の段階まで育てる機械が開発されれば、例えば絶滅が心配される動物の繁殖などに応用することはできそうです。しかしその後、どう野生へ返すかについては、自然環境や生態系のバランスとの関連について慎重な調査や議論が必要だろうと思います。さらにそれを人の不妊治療へ適切に用いることは可能かとなると、倫理上、社会上、様々な観点から極めて難しい問題をかかえることになりそうです。
「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらう」という柳沢発言は、そのまま受け止めれば機械の改良、つまり製造費や維持費の削減、自動化、小型軽量化等を図っていけば少子化問題も解決する、という説明になります。ところが、私たちも産まれてくる子供たちも機械ではないからこそ、少子化問題の解決がなかなか思うように行かず、多くの悩みを抱えているのです。そもそも、性格上実用化が極めて難しい機械に例えること自体、あまりに軽率だと言わざるを得ません。説明を分かりやすくするどころか、かえって問題の焦点が見えにくくなってしまったのではないでしょうか。
「一人頭で頑張ってもらう」、というのは立派な正論だと思います。もっとも、ここで言う「一人頭」には本人が自ら望んで加わるのが自然な営みです。実際、私も身近な人たちから、独身で子供もいないことを心配していただくことがあります。“身近な人たち”の心配だからこそ、深く身に染みるものです。
今回の講演は、「年金や福祉、医療の展望」がテーマだったそうです。私見ですが、柳沢氏には“厚労相の立場で”自らの方策を啓蒙し、問題の焦点を分かりやすく説明する役割が期待されていたはずではないでしょうか。
その能力と人選の責任が今、厳しく問われているのだと思います。
よみがえる「蛍の里」(埼玉県比企郡小川町)
私の自宅のすぐ側、小川町中爪内洞沢(うちぼらざわ)の谷津は、ようやく「蛍の里」として知られるようになりました。去年の夏は過去最大規模のゲンジボタルの群舞が見られ、遠く県外からもたくさん見学の人たちが訪れ賑わいました(2006年7月8日付記事参照)。
1950年代までこの谷津の小川や田んぼでは、夏の夜になると「提灯いらず」と言われたほど多くの蛍が見られたそうです。それが農薬の影響で次第に姿を消し、ついには減反政策もあって田んぼは荒地に変わってしまったのです。
今はこの谷津にお住まいを移されている地元ご出身の清水浩史さんは、30年も前から荒地の整備に取り組んでこられました。その甲斐あって元の美しい環境はもどりましたが、多くの野生動植物が復活したにもかかわらず、なかなか蛍たちは帰ってきてくれませんでした。そこで6年前、30匹だけほかの場所から蛍の幼虫を小川へ放したところ、彼らが仲間を呼んできてくれたのでしょうか、年々その数は増えていったそうです。
幻想的な蛍の光は、雄と雌とが呼び合う求愛行動だそうです。清水さんは仲間の遠ノ平山遊会の皆さんとともに、小川の草陰に産み落とされた蛍たちの卵をやさしく見守り、幼虫が水から上がって土の中で蛹(さなぎ)になる初夏には、踏み荒らされないよう訪れる人にも注意を呼びかけるなど地道な保全活動を続けられています。
△春爛漫の内洞沢(2005年4月中旬撮影)
すぐ側を走る東武東上線の車窓からも、蛍の生息地は良く見えます。
△内洞沢に舞うゲンジボタルの光跡(2005年6月24日、21時15分頃撮影)
清水さんたちは、単に蛍の観光名所を作りたいのではありません。蛍も人の暮らしも含め、たくさんの動植物で構成された豊かな生態系を取りもどそうとされているのです。そのため、命の源である小川の水源地を常に監視し、保水力のある山林を産廃処理施設開発から守るため自費で買い取って手入れをするなど、並々ならぬ努力をされています。
蛍の幼虫の餌はカワニナなどの淡水産貝類ですが、その数が少なくても多過ぎても生態系全体のバランスが崩れるので、人工的な飼育は極力避け、環境整備を中心に活動計画を立てられているのだそうです。
清水さんにお会いするといつも、蛍にまつわるいろいろなお話を聞かせていただくのですが、彼らを産卵装置に例えるようなお話はうかがったことがありません。分かるのは、水源地や豊かな生態系のバランスを守ることの大切さです。
自然で飯が食えるか!?
「自然で飯が食えるか!?」というような台詞が、1960年代の日本でしばしば聞かれたそうです。今でもそんなことを言う人はおられるかもしれません。
人の暮らしを含めた自然の循環も、また経済の循環も、どうすれば円滑にできるかは根本的にあまり違わないように思えます。
私たちの暮らしの源になる食料も資源もエネルギーも、結局のところ自然界からしか得ることはできないのですから。自然が飯そのものなのです。
*2月4日付記事へもどる。
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