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2006年08月23日

ペンタックス「K」シリーズとの出逢い (その1)

30年前に「欲しい」と思った一眼レフ

小さい子供のときからカメラを持たせて欲しくてたまらなかった私が、ようやく父から拝借を許されたのは、小学5年生になった年。今はもう無くなったメーカーですが、Y社が発売したコンパクト機でした。今から30年前のことです。
嬉しかったですね。嬉しかったのですけど、レンズ交換ができない。なぜ? 子供心にもどうしてか納得できずにいました。

その疑問が解けたのは、その年の初夏の移動教室で、群馬県の榛名山を訪れていたときのこと。ハイキングの休憩中に、他のクラスの担任だった若い男の先生が、群がった男の子たちの前で最近買ったばかりらしいカメラから自慢げにレンズを外して見せていたのです。
「ほら、ここにミラーがあって、スクリーンに構図が映るようになっているだろ。それを、この中のプリズムで正確に見ることができるんだ」
たまらずに私も見入りました。
「だから、レンズを換えても実際に写る写真と同じ構図が見られるというわけ。ま、君たちが持つにはまだ早過ぎるけどね」
感心して見とれる生徒たちの目も、いつしかその先生への尊敬の眼差しに。
渋く銀色に輝くパーツに、いかにも精巧そうな造り。冷たく澄んだレンズと、どこかストイックで大人っぽい理知的な雰囲気。男の子なら誰もが一度は憧れる、精密光学機器の極致がそこにはあったのです。
(これだ! 絶対に欲しい…。)
私が一眼レフカメラの存在を初めて意識した瞬間でした。
あとで知ったことですが、その先生のカメラは当時発売されて間もない高級一眼レフでした。O社が開発したその製品は今見ても際立ったコンパクト設計で、豊富なアクセサリー群とともに発表されるや一躍脚光を浴びていたのです。

後日、その高級一眼レフで撮られたたくさんのスナップが廊下に貼り出されました。いつの間に撮られたのか、生徒たちの無防備な寝相のスクープ写真!
ところが、秋には教え子たちからその撮影シーンを学芸会で暴露され? 保護者の皆さんはクスクス笑っていたみたいですが。

ペンタックスにしなさい

それから約1年。中学校進学を控えていた私は、各社のカメラカタログの比較に余念がありませんでした。父も援助してくれるというので、貯金を卸していよいよ自分の一眼レフを買うことにしたのです。
O社の一眼レフはやはり魅力的でしたが、ほかにペンタックスからも後を追うようにコンパクト設計の一眼レフが発売されていることを知り、その技術力に惹かれ始めていました。
「そんなに毎日毎日眺めて、そのうち穴があいちゃうよ」
呆れた父が決めかねている私に言ったアドバイスは、
「ペンタックスにしなさい」
「どうして?」
「O社は頻繁に目新しい製品を出すけど、移り気で大抵は長く続かないから。ペンタックスの方が伝統を大切にしていると思うよ」
そして私は、学生服の注文に行った帰り、両親と共に立ち寄ったカメラ屋で、アサヒペンタックスKMという生涯最初の一眼レフカメラを手に入れたのでした。
お目当ての最新型の方は、結局予算オーバー。それに比べるとちょっと大柄でしたが、KMは1960年代にロングセラーを誇った銘機SPのメカニズムを継承する、プレーンで使いやすい入門機でした。デジタル一眼レフ時代を迎えた今、なお開発が続けられているKマウントシステムを採用した最初の製品です。1975年の発売後、翌年には機能の一部が省略され一層プレーンさを増した輸出向けのK1000も登場し、それはSPを凌ぐロングセラーになりました。

卒業式が済み、春休みを迎え、初めてKMを携え親友(今もネット仲間です)と2人で遠出したのが、奇しくも今住んでいる小川町でした。そのときの写真はもう、引越しのときにどこかへ仕舞い込んで行方不明になったままですが、カメラの方は故障らしい故障もせず、今も思い出の品として私の手元で動態保存してあります(外観は相当くたびれていますけど)。

〔続く〕

項目: 写真・カメラ

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