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2006年08月23日
ペンタックス「K」シリーズとの出逢い (その2)
一眼レフカメラのデザイン考 -プロ用として、あるいは商品として-
ニコンとキヤノン。
数々のプロ用一眼レフカメラを世に送り出し、宿命のライバル同士と評されてきた2大メーカーです。
両者には共通点があります。それは一眼レフのカメラデザインにおいて、車のデザインでも世界的に評価の高い一流デザイナーの指導を、長年にわたって受けてきたということです。
ジュージアーロのモチーフを取り入れたニコン製品は、曲面を複雑に組み合わせた中にも随所に鋭角的なエッジを配し、悪路に強い機動力のあるレーシングマシンのような印象を感じさせます。
一方、ルイジコラーニのコンセプトを取り入れたキヤノン製品は、優美な流線型のフォルムで全体を大きくゆったりと包み、都会的で洗練されたスポーツカーのような印象を感じさせます。
どちらも男性的なスピード感溢れる車を連想させる、という点では同じで、ゴールを目指しアクセルを噴かすドライバーの姿が、貪欲に被写体を追い続けるプロカメラマンのイメージとも重なるようです。
さらに操作部のレイアウトについても人間工学に基づいた配慮が成され、それが功を奏して、外観から受けるスピード感を一層リアルなものにすることに成功しているのかもしれません(実際はどうあれ)。
そのようなデザインをプロ用機から下位機種まで一貫して採用することで、一般消費者の購買意欲を煽ろうという営業戦略上の演出なのでしょう。
さて、ペンタックスです。
学校アルバム関係の撮影では、この春にデジタルへ移行して以来ニコンD200をメインに使っていますが、それ以前はペンタックスLXを中心に、同社のZ-1やMZ-5を目的に応じ組み合わせて使っていました。
LXは私にとって大学入学当初から20年以上使い込んできた馴染み深いカメラです。そして、35ミリ判一眼レフカメラではペンタックスが唯一、プロ用として特別に高い品質基準で設計、製造したカメラです。
その操作部はロングセラー機であるSPやKMのレイアウトを踏襲していますが、デザイン上の工夫は各部の形状や寸法、操作感などを徹底的に見直し使いやすく改良するという、極普通で当たり前のものでした。外観は決して安っぽさを感じさせませんが、かといって実際の値段ほど高そうに見えるものでもありません。
Z-1はオートフォーカスの中堅一眼レフですが、LXとは少し趣が違い、ニコンやキヤノンが作り出すデザインの流行をやや意識したような印象を感じさせます。それが、後のMZ-5では再びLXに準じたデザインにもどり、かつ一層のコンパクト化が図られました。
ペンタックス最初のデジタル一眼レフ、*istDのデザインは、MZ-5のフォルムをベースにZ-1の操作系をラップさせた折衷案で、その意匠は先月発売されたK100Dにも踏襲されています。
一眼レフカメラのデザイン考 -子供を撮るために-
K100Dについて、ペンタックスの商品企画担当の畳家久志さんはアスキーのインタビューに応え、その用途を「子供を撮ること」、それも「学校などでのステージ上のイベント」に絞り込んだとお話しされています。
「ASCII24」:2006年8月21日付ニュース
【INTERVIEW】ペンタックス『K100D』開発陣に聞く(後編)
私はK100Dの発表を受け、このブログの5月30日付記事でも、「手ぶれ補正というと初心者向けの機能のような印象もありますが、ストロボ(フラッシュ)や三脚を使いにくい状況での撮影では、プロも助けられる機能です。私の場合、学校アルバム用の撮影依頼を受ける機会が多いのですが、学園祭などのステージ発表や式典の撮影など、大口径レンズと組合せてその威力が試せる場面はいろいろ考えられそうです」とコメントしたのですが、まさにそれは畳家さんたちが意図した通りの使い道だったのです。
K100Dは、その機能とコンパクトさ、手頃な価格から、ファミリー層もユーザーターゲットに含まれることは容易に想像できました。
しかしそのデザインは、これまでの同社や他社から発売されてきたファミリー向け一眼レフとは、少し雰囲気が違います。
ニコンやキヤノンの製品でさえ、このジャンルのいわゆる“パパママカメラ”は、もっとフレンドリーで愛らしい雰囲気の漂うデザインが多く見られました。
シリーズのネーミングも「Kiss」(キヤノン)、「Sweet」(旧コニカミノルタ)など母性的でアットホームなイメージにした方が消費者の覚えも良かったようです。
ところが、このK100Dのすべてに通じる中性的な生真面目さはどうでしょう。
「子供を撮ること」、それも「学校などでのステージ上のイベント」、すなわち家庭や旅行先などプライベートな場ではなく、学校という公の場で我が子を撮るということ。
子供にとっては、地域社会の一員として記念写真の中に自分の姿が納まることを、否応なく意識させられる場面です。ある子は誇らしげに、またある子は少しはにかみながら。
そして、親としては冷たく澄んだレンズを通して、ストイックな大人の視線で、我が子の成長を見つめなければいけない瞬間でもあります。
“オフィシャルなファミリーカメラ”。そのコンセプトが見えてきたとき、K100Dのデザインも自然と今のかたちに決まっていったのかもしれませんね。
畳家さんやK100Dの開発に携わった方々のお話しが、プロ写真家の谷口泉さんのブログにも紹介されています。ぜひご覧になってください。
PENTAX「美写華写ブログ」:2006年8月22日付記事
圧倒的な売れ行きのK100D、どこが評価されたのか?(2)
カメラのデザインが決める子供との距離
学校アルバム関係の撮影の仕事というのは、生徒さんたちとのコミュニケーション、言い換えれば距離のとり方がなかなか難しいところがあります。
例えば校外活動のスナップでも公式の記録に残す写真ですから、いくらその場が楽しいからといって馴れ合いは禁物です。とはいえ、生徒さんから見れば引率の先生方も添乗のカメラマンも同じ大人の保護者ですから(ときどき私まで「せんせー(笑)」と呼ばれてしまうことがあります)、他人行儀では思い出に残るような心の通った写真は撮れません。
ここで私は、最近はっきりと気が付いたことを打ち明けなければなりません。それは、ニコンD200のようなヘビーユースを意識したデザインのカメラは、生徒さんたちとの距離をどうも遠ざけてしまうようだ、ということです。そして改めて思い出されるのが、LXをメインに使っていたときいつも見せてくれた彼らの真顔、それと自然な笑顔です。
悲惨な事件を報じる際のマスコミの無遠慮な取材姿勢が問われて久しいのですが、テレビニュースに映る殺気立った報道陣のカメラの列が、同じデザインの流れを汲むカメラにも生徒さんたちの目にはだぶって見えてしまうのかもしれません。私は今、自分の使用するカメラが相手に何か威圧感のようなものを与えてはいないか、精神衛生上十分に配慮する必要があると感じているところです。
私は生徒さんたちの前で、「貪欲に被写体を追い続けるプロカメラマン」になるより、ひとりの「ストイックな大人」でありたいと思っています。そもそも、いくらカメラを振り回しガツガツ被写体を追いかけたところで、写真というのはシャッターを切った瞬間しか、後世に残すことはできないのですから。
項目: 写真・カメラ
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