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2007年01月23日

現像用暗室のある写真教室はどうですか? (その1)

1月27日付記事も、あわせてご覧ください。

パソコンVSソロバン&和文タイプライター

もう20年近く前の話になりますが、私が初めて就職した出版社では、書類の作成に和文タイプライターが大活躍していました。ワープロも当時1台だけ導入されていたのですが、印刷も含め全体の動作は遅く、手書き原稿を清書するだけなら熟練社員による和文タイプの方が早いし、仕上がりも美しかったのです(私は打てませんでしたが)。
その後数年を経て、和文タイプもワープロもその役割はパソコンに取って代わりましたが、総務部や社長室のソロバンはずっと健在でした。

今日、和文タイプライターを勉強できる機会というのは、世の中からほとんど失われてしまったようです。まず、中古品の入手からして困難で、かつメーカーのアフターサービスも近年ほぼ終了してしまいました。
対して、パソコンが普及するまで和文タイプと同様にオフィスの必需品だったソロバンですが、今も全国各地にソロバン教室や珠算塾などがあって、子供の習い事としても根強い人気があるようです。和文タイプに比べれば習得しやすく、お金もかからないという面もありますが、パソコンが普及してもなお一定の需要を保ち続けているのには、ほかにも様々な理由があるからでしょう。ソロバンの使い方をアニメーションで説明するパソコン用ソフトが登場するなど、逆転現象(?)さえ見受けられます。
私が小学生だったときソロバンの授業があり、私は大の苦手だったのですが、得意な子の暗算の素早さは正直、とてもうらやましく思えました。珠算を習得し、さらにイメージトレーニングを重ねることで、ソロバンは使わなくても素早く計算できるようになる、ということです。

暗室のある写真教室を

前置きが長くなりましたが、私は前々から、白黒写真の現像用の暗室も備えた写真教室が各地にできれば良いのに、と思うときがありました。近年は中学や高校でも少子化のせいか、いえ、それ以前に先生方が本当にお忙しいこともあって写真部は減少傾向にありますが、その代りを民間の教室として実現できれば、小学生や年配の方も一緒に参加でき楽しいだろうと考えたのです。

このごろは、大人も子供も交えた地域社会のつながりが希薄になってきていると言われ、子供をとりまく様々な社会問題や事件が目立つようになったのもそのためだと指摘されることがあります。写真というメディアにはこれまで、事物を記録し伝えると同時に、社会や人の意識を映し出す鏡として、つまり表現や相互コミュニケーションの手段として広く用いられてきたという実績があります。そのような写真を大人も子供も一緒になり、撮影から現像、プリント、展示発表に至るまで体験することによって、希薄になったと言われる地域社会の役割を見つめ直すきっかけが作れるのではないかと、期待したいのです。

今から3年ほど前は、レンズ付のデジタル一眼レフも安くて20万円前後はする高価な機材でした。そのため、初心者が本格的に写真の勉強を始めようと考えたとき、ズームレンズとのセットで数万円でも買えるようになったフィルム一眼レフを選ぶのは、至極当然でした。白黒フィルムに白黒印画紙、現像用薬品や暗室用品も、関連メーカーの努力によってここ数年の間にかつてないほどの改良が加えられ、私が考えるような写真教室の実現にはこの上なく良い環境が整ったように思えたものです。事実その頃、初心者を対象にした白黒写真のワークショップが各地で開催されるようにもなっていたのです。

ところが、ここわずか1、2年の間に、環境は激変しました。ズームレンズとのセットでも10万円以下で買えるデジタル一眼レフが各社から続々発売され、フィルム一眼レフは初心者用はもちろん、プロやハイアマチュア用の製品も含め、数えるほども生産されなくなってしまったのです。フィルム関連製品もすっかり減ってしまいました。本当に、あっという間の出来事でした。

ソロバン教室と写真教室

ソロバンは計算を助ける道具として長い歴史を持ち、暗算力が養えるなど実生活で役立つメリットが私たち日本人の間では広く認められています。そのため、電卓やパソコンが普及してもソロバン教室は全国各地で運営され、子供を通わせる保護者が絶えることはありません。
フィルムカメラはどうでしょう。日常生活の中の実用品として、その役割はもうすでにデジタルカメラやカメラ付携帯に取って代わられてしまったようです。写真の専門家の中には、写真表現の基本はフィルム撮影、それも白黒写真にあり、現像やプリントを自ら手がけることでその理解や能力も高まると説く人も少なくありません。しかし、そのような主張が広く一般に認められるまでには、今のところどうも至っていないようです。写真は1839年に画家で興行師のダゲールによる発明が公式発表されてから(フランス科学アカデミーにて)、まだ168年の歴史しか持っていません。さらに日本でカメラが大衆層に広まったのは1960年代以降、ほんの半世紀前のことなのですから、考えてみればそれも無理のないことのように思えます。

ところで、写真を始めるのは果たして何才ぐらいからが良いのでしょう。意見はいろいろあると思います。美術や音楽、文芸、演劇、舞踏などと違い、技術のレッスン以前にまず、人として成長するための社会教育が必要だという考えもあるかもしれません。写真が現場に出て目の前の事物に対しカメラを向けなければ撮れないものである以上、そのことが誰かの権利を侵してしまう場合もありうることまで、予め学んでおく必要はあるかと思います。このことは、パソコンや携帯、インターネットに潜む様々な問題をどう子供たちに理解させるか、という、小中学校の教育現場が今直面している課題にも通じる部分があると言えます。
これまで、デジタルカメラで写真を学ぼうとしてきた人たちのほとんどは独学で、必要な知識の多くはインターネット上で交わされる情報から得てきたのではないかと考えられます。これには、写真を専門に教える学校でさえ、デジタル撮影や撮影後の画像処理の手法を一度に大勢の学生へ教える体制が、まだ十分に整っていないという実情もあります。機材や関連ソフトの操作方法がメーカーはもちろん製品によってもかなり異なり、そのことがテキストやカリキュラムの作成など学習プロセスの構築を一層難しくしているようにも思えます。プロフォトグラファーの現場でも、急激なデジタル化を受け少なからぬ戸惑いや混乱が認められています。
これは私見ですが、大人の指導のもとであれば、写真は小学校の高学年になればもう始めても良いのではないでしょうか。機材もフィルムカメラであれば、パソコンやインターネットは必ずしも学習しなくて済みます。私の場合、初めて父からカメラを借りることが許されたのは、小学5年生になった春のことです。そして、中学1年生のとき先生へ懸命に働きかけ、夏休みの間だけ廃部になっていた写真部を復活させてくれたのは、小学生の頃からお父さんの暗室用品を借りて白黒写真のフィルム現像やプリントを勉強してきた級友たちでした。高校受験が近づくとさすがにお互い写真どころではなくなりましたが、それまでの熱中できた年月は今も、私にとっては貴重な経験として蘇ってきます。
2006年8月23日付記事2006年9月2日付記事も併せてお読みください。)

私が考えるような暗室を備えた写真教室が、子供も大人も含め社会にとってどれほど有益なものになりうるかは、あまり前例の無いことでもあり先に挙げたような漠然とした期待しか述べることができません。願わくば、ソロバン教室と同じくらい広まって欲しいというのが私の心情ですが、その前に必要な製品が今、採算悪化を理由に市場からどんどん消え、風前のともし火となりつつあります。

フィルムカメラはソロバンと同じようにこれからも生き残れるのか? それとも和文タイプライターと似た運命をたどるのか? 写真のデジタル化の流れを遅らせて良い理由は少しもありませんが、せめてあと少し、検証のための機会は残されて欲しいと切に思うのです。

欲しい、子供も大人も満足できるフィルム一眼レフ

一眼レフに限らずフィルムカメラは急速に品数が減り、特殊な用途のものか熱心な写真愛好家向けの高級機種などに製品の種類が絞られてきています。その中で一部の安価なコンパクトカメラ等はなお健在ですが、せっかく限られた時間の中で存分に写真の勉強を楽しもうというのなら、やはり自由にレンズ交換のできる手頃な値段の一眼レフが欲しいところです。

ニコンFM10(税込希望小売価格38,850円、レンズ別売)は唯一、現行製品の中ではその条件を満たすフィルム一眼レフだと思います。極めてオーソドックスなスタイルの完全機械制御式の全手動カメラで、その各操作部の配置や使い方は、例えば私が30年近く前に買ったアサヒペンタックスKMともほとんど共通です。つまり、ある程度写真の経験を積んだ中年以上の世代の人であれば、説明書の注意事項に目を通すだけで、すぐにでもFM10の使い方を初心者へも説明できるというわけです。写真教室の貸し出し用としても管理しやすいのではないでしょうか。その上交換レンズの一部は同社のデジタル一眼レフとも共用できますから、将来デジタル撮影も勉強したいという人にとっても、買い物が無駄にならないように済ませることもできます。
FM10は現在新品で買えるフィルム一眼レフの中では最も安価な製品ですが、コンパクトで子供にも扱いやすく、写真の基本を学ぶには十分過ぎる機能と性能とを持っていて、ベテランをも満足させるカメラです。その「基本を学ぶ」段階で、初心者にとってすぐには理解しにくく、ベテランでも説明に苦労しやすい要素にレンズの“絞り”があります。この点は一眼レフなら一目瞭然で、交換レンズをカメラから外しレンズ側に設けられた絞り調節リングを回して見せれば、それが私たちの眼でいう“瞳”と同じ働きをするものであることが子供でもすぐ理解できるでしょう。さらにFM10ではシャッターを切らなくても、実際にカメラを覗きながら絞りを段々と変え、効果の変化が連続的に確認できるレバーも備えられています。これにより、絞りがレンズを通る光の量だけでなく、ピントの合う範囲やその前後のボケの量まで調節する役割を持っていることも、容易に理解できるはずです。
こうした学びやすさはまさに一眼レフならではの利点ですが、残念ながら今ではFM10以外の国内メーカーの一眼レフはデジタル一眼レフも含め、絞りを原則的にカメラ側の電子ダイヤルなどで調節するものばかりになってしまいました。しかも、その操作方法は同じメーカーの製品でも機種によって異なり、初めて接する機種ではベテランでさえ、説明書を熟読しなければ分かりずらい場合もあるのではないかと心配されます。また、調節は絞りの設定を示す“F値”という数値で合わせなければならないため、初心者はまずその意味を理解しなければ、絞りの効果をスムーズに撮影で活かすことはできません。メーカーにとってはこれでレンズ側に絞り調節リングを設けなくて済むことになり、自由な設計ができるようになる訳ですが、このタイプのシステムでは今のところ、カメラを覗きながら絞りの効果を連続的に変化させ確認することができないのです。これでは写真入門のハードルが、以前より高くなってしまったと言えるのではないでしょうか。
フィルム一眼レフに限ったことではありませんが、昔の手動式カメラでは、試行錯誤をくり返しながらも自然に写真が写る仕組みを学習できたものです。今の自動化や高機能化が進んだカメラ、特にデジタルカメラでは実践より先に理論を学ばなければならないことが多く、それを嫌えばずっと自動任せから抜け出せなくなってしまうおそれがあるように思えるのです。

FM10の発売元はニコンですが、一説によるとその設計は長野県にある光学機器メーカー、コシナによるものだと言われています。コシナにはペンタックスと交換レンズが共用できる一眼レフを生産してきた実績があり、FM10はそのニコン向け仕様だという説です。幸いペンタックスは今も、絞り調節リング付の交換レンズをフィルム一眼レフとデジタル一眼レフの両ユーザー向けに発売しており、新製品も予定されているようです。ほかにも条件の似た一眼レフシステムを発売しているメーカーは国内にあるかというと、残念ながら今では見当たらなくなってしまいました。願わくばペンタックス仕様のFM10のようなカメラも近いうちに登場し、子供も含む初心者の選択肢が少しでも広がってほしいものだと思います。

〔続く〕

項目: 写真・カメラ , 町づくり・町おこし

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