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2007年02月24日

イーグルバスが小川町へも進出 (その3)

〔(その2)へもどる〕

イーグルバスが取り組む不採算路線の黒字化(日高市内の事例)

3月1日より小川町駅~皆谷(かいや)~白石車庫の路線バスが、川越観光バスからイーグルバスへ移管されます。他社が運行するこのような不採算路線をイーグルバスが引継ぐのは、今回が初めてではありません。同社は昨年4月にも日高市内の赤字路線を西武バスから引継ぎ、黒字化を目指してより利用者のニーズに応じた運行ダイヤ作りに取り組んできたそうです。その要となるものが、GPSと乗客感知センサーとを組み合わせ埼玉大学と共同開発した、停留所ごとの乗客数が正確に把握できるシステム。得られたデータに基づく新ダイヤは、日高市内で4月1日から導入されるとのことです。

 イーグルバス(株)新聞/雑誌 掲載記事
 →「ダイヤ効率化へ 日高で実証実験」埼玉新聞(2006年4月6日付)

 「読売新聞」:2007年2月23日付記事より引用
 ↓イーグルバス 赤字解消へ新ダイヤ
   ニーズ把握で改善 乗客25%増目標

大手バス会社の撤退が続いた日高市内の赤字路線を昨年4月に引き継いだイーグルバス(本社・川越市、谷島賢社長)が、赤字解消を目指した新ダイヤを4月1日から導入する。 同社が埼玉大と共同開発した、全地球測位システム(GPS)と乗客感知センサーを組み合わせたシステムを駆使し、1年間かけて研究した「採算が取れるダイヤ」で、多くのバス事業者が赤字路線に悩む中、新ダイヤが、赤字解消の切り札となるかが注目される。
同社は、川越市を本拠地に、福祉送迎バスや市内観光スポットを回る巡回バスを運行する従業員150人余りの中小企業。
日高市内の住宅団地とJR八高線「高麗川駅」、川越線「武蔵高萩駅」、西武池袋線「飯能駅」をつなぐ2路線は、かつて国際興業(東京都中央区)が運行していたが、1995年に撤退。その後、参入した西武バス(所沢市)も採算が取れずに昨年3月に撤退し、同4月からイーグルバスが路線、ダイヤをほぼそのまま引き継いでいる。
路線バス事業への新規参入が可能になった2002年以降、県内で大手撤退後の赤字路線を引き継いだのはイーグルバスだけだ。谷島社長は「(管理人注:路線バス事業撤退の)規制緩和が生活の足を奪った。人口5万人を超す市がバス空白地帯となるのはおかしい」と参入の動機を話す。
同社は、「システム」を運行する4台のバスすべてに搭載し停留所ごとの乗客数を正確に把握。市内約5000世帯へのアンケートも行いニーズを探った。
その結果、鉄道との接続が極端に悪いダイヤ設定が多く、乗客がほとんどいない時間帯もあることなど約30の改善点が見つかった。
新ダイヤでは〈1〉鉄道との接続に配慮〈2〉利用客が見込める時間帯の運行に重点を置く〈3〉最終バスを30分から2時間遅らせる――などの工夫で新たな利用者を発掘し、現在1日約800人の乗客を1000人に増やし、年間約2000~3000万円にのぼる赤字解消を目指す。
谷島社長は「不採算路線は、全国全路線の40%と言われる。日高路線を成功させ、全国のモデルケースとしたい」と意欲的だ。

東秩父村方面の減便は避けられるか?

日高市内の事例では路線バスが住宅団地内を経由するため、ダイヤの工夫次第で乗客を増やす余地がいくらかはありそうに思えます。しかし小川町駅~皆谷・白石車庫線が経由する東秩父村は人口3,795人(2005年現在)と、過疎化が特に進んでいる地域です。行楽シーズンのハイキング利用者などを別にすれば、掘り起こせる乗客の数は自ずと限られてしまいそうです。日高市での取り組み方がそのまま応用できるか、疑問が残るところです。
東秩父村内を基点に考えた場合、利用者が小川町方面へ出かける時間帯は日中分散していても、帰りは夕方のバスに集中するということも十分想像できます。この場合、乗車率の低さから日中の便が減らされるとマイカーを選ぶ利用者が増え、結局夕方の帰りのバス利用者まで減ってしまうという悪循環に陥る心配が生まれます。単純に乗客数を把握するだけでなく、その行動まできめ細かく分析し、本当に暮らしの役に立つバス事業を展開してもらえたらと思います。

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2007年02月21日

イーグルバスが小川町へも進出 (その2)

〔(その1)へもどる〕

小川町駅~皆谷(かいや)・白石車庫線が
3月1日よりイーグルバスにて運行開始

運賃(変更なし)や時刻表などが公開されました。

 イーグルバス(株)路線バス詳細

詳細は次のページからPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。
問合せ先はイーグルバス都幾川営業所(TEL 0493-65-3900)です。

 小川町公式ウェブサイト2007年2月15日付新着情報
 →「小川町駅~皆谷・白石車庫線」イーグルバスにて運行開始。
   (△PDFファイル)

〔続く〕

項目: 町づくり・町おこし , 行政・議会

2007年02月08日

イーグルバスが小川町へも進出 (その1)

*3月1日より小川町駅~皆谷・白石車庫線がイーグルバスにて運行開始
 されます。運賃、時刻表は2月21日付記事からダウンロードできます。

小川町駅~皆谷(かいや)~白石車庫の路線を移管

小川町駅に乗り入れる路線バスには現在、東武系列朝日自動車グループの川越観光バス(川越観光自動車)、国際バス(国際十王自動車)、別グループのときがわ町代替バス(武蔵観光)があります。
各バス事業者が受け持つ路線は次の通りです(小川町駅起点)。

 川越観光バス時刻表一覧
 ・小川町駅~皆谷~白石車庫
 ・小川町駅~みどりが丘(循環)
 ・小川町駅~小川パークヒル
 国際バス時刻表問合せ先
 ・小川町駅~県立循環器・呼吸器病センター~熊谷駅
 ときがわ町代替バス時刻表一覧
 ・小川町駅~明覚駅

うち、小川町駅~皆谷~白石車庫の路線が川越観光バスからイーグルバスへ、近く移管されることになったそうです。

 「おげんきですか 柳田たえこです」:2007年1月20日付記事
 →小川~白石車庫間のバス運行について

地域の付加価値を高める
イーグルバスの路線バス事業ノウハウ

残念ながらこれまで、東武系列の路線バス事業は本業である鉄道の連絡役に過ぎませんでした。あくまでも鉄道に代わる輸送手段、あるいは鉄道の駅へ利用者を集める手段に徹した位置付けで、地域交通の担い手としての役割は他の路線バス事業者やタクシー会社等へ譲る経営方針を通してきたのです。
比較的路線バスの需要が多い都市近郊では、例えば国際興行バスや西武バスなどが路線網を東武系列バスと上手く補完し合い、地域の需要にきめ細かく応じる例が見られます。ところが小川町などのローカルエリアでは、路線バスに関しては東武系列バスの寡占状態が続き、自家用車の普及した現在、従来の経営方針では利用者離れが抑えられなくなっています。そのため東武鉄道は近年、こうしたローカルエリアの路線バス事業を本社直営から系列会社の朝日自動車グループへ移管し、サービスの見直しを図ってきました。しかし一部ダイヤに若干の改善は見られたものの、車庫や営業所の統合など、運賃抑制を図ることだけで今は精一杯のようです。

イーグルバス(株)は1980年に埼玉県川越市で創業した比較的新しい会社です。当初は送迎バスや福祉バスなどの事業から出発し、その後観光バス事業に進出、2003年からは路線バスや高速バスの運行も開始しました。親会社が交通事業者ではなくイーグルトラベル(株)という旅行業者であることから、業界でもかなりユニークな存在として注目を集めています。路線バス事業へ進出したのも、地元川越市の観光客向けに始めたクラシックなボンネットスタイルの小江戸巡回バスの成功がきっかけになっています(経営理念)。
地域の潜在的な需要を見極めるイーグルバスのノウハウは評価が高く、最近ではときがわ町代替バスの運行を一部請け負うほか、武蔵嵐山駅や明覚駅を起点に路線バス網(PDFファイル)を広げ、成果が期待されています。

小川町駅~皆谷~白石車庫の路線を川越観光バスから引継ぐことについては、元々不採算路線であることから課題も多いと思います。車両や乗務員のローテーションを円滑にするためにも、今後は他の路線バス網との再編も検討されるのではないでしょうか。

小川町駅~小川パークヒル~武蔵嵐山駅のバス路線開設を
小江戸巡回バスのような観光、福祉共用の「小京都巡回バス」も

イーグルバスの武蔵嵐山駅~嵐山郷~県立循環器・呼吸器病センターの途中には志賀児童公園前停留所がありますが、そこから川越観光バスの小川町駅~小川パークヒルの終点とはほんの1Kmほどしか離れていません。この区間を結ぶだけで私の暮らす小川パークヒル(東小川)の利便性はずっと高まるのですが、これまではバス事業者も関係する自治体も異なることから、実現まで相当時間はかかるだろうと覚悟していました。
実はこの案を、私は1住民の立場から、2003~2004年に設置された比企地域3町3村合併協議会の住民説明会会場(小川町と嵐山町の2ヶ所)で新市町づくり計画に関する意見として述べたことがあります。その趣旨は、合併協の議事録や資料にも記載されました。小川町と嵐山町とを含む合併が前提であれば、合併特例事業として県や国からの支援も得やすいはずだと考えたからです。しかし協議は、諸般の事情により残念な形で破綻してしまいました。
小川パークヒルの分譲が始まった当時、武蔵嵐山駅にはまだ大型車両が乗り入れできる駅前広場はなく、バス路線は小川町駅方面にのみ開設されました。もとより分譲は小川町域の事業であり、路線バス誘致には小川町駅周辺の商業や産業を振興する意図も多分に含まれていただろうと思われます。
しかしイーグルバスが小川町へも進出しようとしている今、状況は大きく変わってきました。小川町駅~小川パークヒルの路線もイーグルバスへ移管されれば、武蔵嵐山駅起点の路線網と合わせて再編した方が同社の経営面でも合理化が図れるように思います。小川パークヒルの住民の流れが小川町駅から武蔵嵐山駅方面へ変わることは否めませんが、利便性向上で地域の付加価値が高まることにより、人口の定着が期待できるメリットを町にも重んじてもらえればと思います。

なお、小川町駅を中心に小江戸巡回バスのような「小京都巡回バス」が、武蔵嵐山渓谷埼玉伝統工芸会館(道の駅おがわまち)おがわ温泉花和楽の湯小川赤十字病院側)、東秩父村和紙の里、さらに埼玉県立川の博物館(現在は東秩父村営バスが乗り入れ)や秩父高原牧場などを巡るようになれば、観光客も今よりもっと訪れやすくなるでしょう。平日には、福祉巡回バスとしての活用も期待できるはずだと思います。

〔続く〕

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2007年02月06日

東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会が公式サイト開設

寄居町、小川町へのホンダ新工場進出を契機に

1969年設立の東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会の公式サイトが、2月1日に開設されました。同サイトは同盟会事務局のある小川町の公式サイトと同じスペース内で運営されています。

 小川町公式ウェブサイト:2007年2月1日付新着情報(抜粋)
 →東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会の
   ホームページができました。

東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会では、寄居駅までの全線複線化促進のPR活動としてホームページを作成しました。複線化促進活動にみなさまのご理解ご協力をお願いいたします。

問い合わせ先:政策推進課 政策推進担当
          電話 0493-72-1221 内線214・215

 小川町公式ウェブサイト東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会
 →複線化の必要性(抜粋)

東上線は池袋を起点として終点の寄居町まで埼玉県の中央を西北に伸びており、主に通勤・通学の足として沿線住民の重要な役割を果たしています。
この地域では、「東松山駅」までの複線化が昭和43年に完了し、その後昭和46年には「森林公園駅」開業、昭和51年には同駅までの複線化も完了、更に平成14年には「つきのわ駅」の開設と「武蔵嵐山駅」までの複線化が図られ、平成17年3月には嵐山信号場までが複線化され、利便性が向上したところですが、「嵐山信号場」~「寄居駅」までは未だ単線のままです。
一方、ホンダの寄居町及び小川町への新工場進出により、交通アクセスとしての東上線の需要の増大が見込まれることからも、ますます複線化の必要性が高まっています。

 小川町公式ウェブサイト東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会
 →期成同盟会について(抜粋)

★目 的★
東上線東松山・寄居間複線化期成同盟会は寄居駅までの全線複線化を促進し、更なる沿線地域の経済開発と地域住民の福利増進に寄与することを目的とします。

★構 成★
東松山市・滑川町・嵐山町・小川町・ときがわ町・鳩山町
・東秩父村・寄居町・深谷市の市町村長及び議会議長

★役 員★
会  長 小川町長
副会長 嵐山町長・寄居町長
監  事 ときがわ町長・東秩父村長
事務局 小川町

複線化で全線にわたる柔軟なダイヤが可能に

ホンダは昨年、寄居町富田地区に四輪車新工場を、小川町ひばりが丘にエンジン新工場を建設すると発表しました。稼動は寄居工場が2010年、小川工場はそれより早く2009年が予定されています(2006年12月20日付記事参照)。両工場を合わせ投資額は県内でも過去最高と報じられていることから、鉄道、道路とも交通量の増大は容易に想像できます。特に小川工場の建設計画は、低燃費車エンジンの需要急増を受け浮上したもので、東武鉄道が住宅分譲用に取得していた土地を急遽転用することで実現されるものと報じられています。東武鉄道にとっても、複線化事業を進めやすい環境が整ってきたと言えそうです。

複線化の効果ですが、嵐山信号場~小川町駅間を複線化するだけでも、現在森林公園駅折り返しの電車を小川町まで延長運転でき、利便性が向上します。さらにその先の小川町駅~寄居駅間との接続も柔軟に対応できることから、運転速度のアップと併せ全線にわたる所要時間短縮が可能になります。また、万一ダイヤが乱れた場合でも速やかな回復が期待できます。

東上線の最高営業速度は100km/hですが、これは最も製造年度の古い車両の性能に合わせてもなお、十分余裕のある設定です。しかも現状では、実際に最高速度を出すときはそれほどないのです。東上線は首都圏の鉄道でも、かなりのんびり走っている電車だと言えるでしょう。この事情について分かりやすく説明すれば、急いでも結局、単線区間で反対方向から来る電車を待たされることになるので、時間調整しながら走らざるを得ないダイヤパターンになっているのです。そうした状況が解消するため、すでに複線化と運転本数の増加が図られている区間の利用者にとっても、残る単線区間の複線化には十分メリットがあることになる訳です。

ダイヤ改正のタイミングは2008年と2012年

東上線は現在、和光市駅で東京メトロ有楽町線と相互乗り入れ運転をしています。来年の2008年6月には、途中の(新線)池袋駅から新宿3丁目駅を経て渋谷駅へ至る東京メトロ副都心線(旧称13号線)も開業し、その区間への相互乗り入れも開始されます。

 東京メトロ:2007年1月24日付ニュースリリース
 →東京メトロ13号線の路線名称が『副都心線』に決定!!
   ~あわせて新設した7駅の名称も決まる~

 東京メトロ:新線建設
 →副都心線建設

さらに2012年には、渋谷駅で副都心線と東急東横線とが接続。同時に横浜方面、元町・中華街駅までの相互乗り入れも開始される見込みです。

 東急電鉄:鉄道情報【大規模改良工事】
 →東京メトロ13号線との相互直通運転に伴う東横線渋谷~横浜間改良工事

なお、西武鉄道でも池袋線などで同様の相互乗り入れを計画しています。

2008年と2012年には、これら新しい相互乗り入れ運転の開始に伴い、東上線でもダイヤの大改正が予想されます。小川町駅までの複線化をこうしたタイミングに合わせるなら、2008年ではもう時間がないので、ホンダ寄居工場稼動後の2012年に合わせるのが合理的だと考えられます。

課題は小川町駅の改良。工事は2段階?

小川町駅まで複線化するには、まず駅施設の改良をしなければなりません。
現在、同駅の東上線乗り場は4番線ホームまであり、その点で不足はありません。課題は、全てのホームへ上り方面から10両編成の電車が到着できるようにすることです。それには、今の駅舎を移転してホームを延ばし、下り方面折り返し電車専用の1番線を上り方面へつなげる工事が必要になります。そうすることで、複線化と併せてより柔軟に電車が増発できるようになるのです。駅の下り方向にある引込線は将来、複線区間の延伸に伴い下り本線への転用が予想されます。引込線に電車を退避させホームを空けることができなくなるので、その分1番線へも上り方面から電車が到着できるようにする訳です。

今の駅舎の移転先ですが、小川町では以前から小川町駅の橋上駅舎化を検討しています。しかしこの事業は、北口広場の新設や南口広場の改良なども伴う比較的大規模なものになります。仮に5年以内に複線化するとなると、時間的にも予算的にも工事が間に合わない心配があります。そこで、長期的にはやや不経済ですが、駅舎の移転工事は2段階にした方が無理はないだろうと考えました。最初の移転先は橋上ではなく、例えば南口広場の西側駐車場付近とし、コンビニエンスストアなど店舗との同居も検討案に含めてはどうかと思います。
駅北側には県立小川高校があり、その敷地を避けると北口広場はホームから大分離れた場所になりそうです。小川高校西側に隣接した敷地が毎年、小川七夕まつりの臨時無料駐車場に利用されていますが、その辺りになるでしょうか。そこまで長い連絡橋を造るより、橋上駅舎と一体化した広い人工地盤を線路上に設けてはどうかという案もあると思いますが、建設費や維持費が町の大きな負担になることが心配されます。

小京都に小川町駅? 東京都にも小川町駅? 名前に工夫が必要

東武東上線と東京メトロ有楽町線、同副都心線との相互乗り入れ運転が活性化すると、小川町駅発着の地下鉄直通電車も運転されるようになるかもしれません。その場合、困った問題が生じることになります。それは、地下鉄にも同じ名前の小川町駅(都営地下鉄新宿線)があり、乗り慣れない乗客が東上線直通小川町行電車を間違えて利用する心配があるのです。慣例ではこうした紛らわしさを解消する場合、どちらかの駅名改称で対応する事例が良く見られるのですが、私は観光客への宣伝も兼ね、東上線の方を「小京都小川町駅」に変えてはどうかと考えました。ほかにも武蔵京都、秩父高原口など候補はいろいろあると思います。
東上線の電車は2012年に、副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線経由で元町・中華街(山下公園)駅まで直通運転を開始する見込みです。小京都小川町駅と元町・中華街駅との間で利用の見込める時間帯に直通運転を実施すれば、東上線の観光路線としての価値も高められそうな気がします。これまで小川町にあまり馴染みのなかった東急沿線の利用者も、観光客として呼び込むチャンスになると思います。西武鉄道も同様の直通運転を予定しているので、そこは競争もありますが、協業で観光周遊ルートを開拓すればさらに面白くなるでしょう。

*ご参考(観光周遊ルートの私案)

・西武鉄道の特急「レッドアロー号」(新造)を6社間で共同運行する案。
 (一部駅のみ記載。逆方向もあり。)

元町・中華街→(みなとみらい線)→横浜→(東急東横線)→渋谷→(東京メトロ副都心線)→小竹向原→(東京メトロ副都心線・有楽町線)→和光市→(東武東上線)→小京都小川町→(東武東上線)→寄居→(秩父鉄道)→長瀞→(秩父鉄道)→秩父→(秩父鉄道)→御花畑→(西武秩父線・池袋線)→飯能→(西武池袋線・西武有楽町線)→小竹向原→(東京メトロ副都心線)→渋谷→(東急東横線)→横浜→(みなとみらい線)→元町・中華街

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2007年01月29日

写真館チェーン店がもったいない!

1月5日付記事でも触れたファミリー写真館について考えてみました。

ファミリー写真館チェーン店の可能性と限界

スタジオアリススタジオマリオトム★ソーヤスタジオパレットピノキオ(首都圏中心)といった子供向けの“ファミリー写真館チェーン店”が相変わらずの人気です。子供だけでなく、最近は成人式の記念写真キャンペーンを展開する店舗も増え、そのサービス内容は単なる「子供写真館」というジャンルには納まらなくなってきたようです。

こうなると、既存の一般的な写真館にはある意味脅威ともなりうるのですが、出店は今のところ都市部やその近郊など、ある程度集客力のある地域に限られているようです。残念なことですが、既存店も近年は後継者不足から廃業する店が目立ち、卒業・入学シーズンや七五三、成人式など混み合うシーズンには近隣の写真館の負担が大きくなる傾向にあります。利用者の視点で見ると、地域によってはチェーン店の出店が混雑緩和の新しい受け皿になり、うまくバランスが取れている例もあります。お客さんにとって選択肢が増えるということは、本来歓迎されるべきだと思います。
問題はオフシーズンです。混雑時は結果的に協力し合えるチェーン店と既存店との関係ですが、それ以外の時期にはどう共存していけば良いのでしょう? この課題については、チェーン店の方が先に手を打ち始めています。例えば、子供に喜ばれるアニメキャラクターやおもちゃなどを用いた演出写真の企画です。例えば、次のようなものがあります。

 こども写真城スタジオアリスディズニーの世界
 こども写真館スタジオマリオワンワン&うーたんと写真をとろう!
 こども写真館トム★ソーヤースヌーピーフォト
 ファミリー写真館ピノキオレゴといっしょ(ブロック玩具)

キャラクターなどの商用利用は映画会社など著作権者との契約が必要になり、小規模経営の既存店では採算上メニューに取り入れにくいサービスだと考えられます。チェーン店が既存店との無用なシェア競争を避け、差別化を図るうえでも、このような新企画をさらに推し進めることが得策だと思われます。

ところが、そこには大きな壁も存在します。1つは施設、1つは人材です。

お客さんは一度サービスに満足すると、さらにその上のサービスを求めるのが常です。眼が肥える、と言えばよいのでしょうか。要望はどんどんエスカレートしていくものです。
キャラクターの衣装を着て撮ってもらう楽しさを覚えた子供さんは、成長するにつれさらに上の楽しさを求めるようになると思います。いつまでも子供向けのメニューでは飽きてしまい、お店から離れていってしまうでしょう。せっかくつかんだ顧客なのに、とてももったいないことだと思います。

コスプレ写真館はいかが?

例えば今、10代や20代の若者たちの間で、アニメや映画のキャラクターに扮するコスチュームプレイが人気です。衣装の多くは自慢の手作りですが、レンタル衣装があれば着てみたいと思っている潜在的な層はもっとたくさんいるはずです。実際、マニア向けのレンタル店も少なからずあるようですが、残念ながら写真撮影はお客さん個人で、という店がほとんどのようです。やはりお店にとって、著作権契約の条件がネックになるからでしょう。
憶測ですが、このような需要を想定した企画は、すでに写真館チェーン店の運営会社内でも再三検討されているのではないかと思われます。しかし人気キャラクターにも流行があり、短期間で多くのお客さんを呼んでペイしようにも、肝心のスタジオ床面積や撮影スタッフの数が逆に不足する心配があるのです。また、照明やカメラアングルなど、設備や撮影技術にもマニアを満足させる高いレベルが求められます。それらを流行が去る前に、キャンペーン期間中にだけ賄うことは、チェーン店一社だけで解決するにも限界があるように思います。大企業とはいえ、リターンが確実でない投資はできないでしょう。

そこで私は、近隣の既存の写真館へのアウトソーシングを提案します。物理的な問題を解決できるだけではありません。照明設備が移動調節式で凝ったライティングのできるスタジオが多く、映画のスチル写真のようなきめ細かい演出や屋外の出張撮影にも応じられるメリットもあります。著作権の問題をクリアする必要がありますが、そこはチェーン店の運営会社が映画会社や放送局などと交渉し、映画や番組の宣伝も兼ねたタイアップ企画として実現させれば良いのです。そうすれば、チェーン店がまだ出店していないような田舎町の中高生もターゲットに、全国的なキャンペーンを展開することだってできるはずだと思います。
 
すべてはお客さんのために

先に挙げたような新サービス創出へ写真館業界全体で取り組むようになれば、誰よりも喜ばれるのはお客さんです。そして次に期待したいのは、お客さんとの地域的な(プライベートな)つながりのより深い既存店が、顧客の反応に基づくさらに新しいサービスを企画し、チェーン店の運営会社へ持ち込めるようになることです。営業暦の長い写真館なら、そこから独立したカメラマンや、店舗へ機材の注文に来たり写真の現像を出しに通うフリーカメラマンとのネットワークも豊富です。そうした人材面での資産も全国ネットのチェーン店とうまくリンクできれば、お客さんの業界全体への期待感が大きくアップし、プロに写真を撮ってもらうことがもっともっと楽しくなるのではないでしょうか。

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2007年01月24日

現像用暗室のある写真教室はどうですか? (その2)

1月27日付記事も、あわせてご覧ください。

〔(その1)へもどる〕

レンタル暗室付き写真教室の事例

幸い、前回私が述べたようなものに近い暗室付きの民間の写真教室は、少しずつですが各地に開設され始めているようです。今後そうした動きがさらに広がるかどうかは、やはり関連機材や用品を提供するメーカー、販売会社などの積極的な協力が欠かせないでしょう。年少者が安心して利用できるよう、地元の写真クラブなどの経験者が保護者に代わって協力し合い、各教室の講師やインストラクターをサポートしていくことも大切だと思います。

カメラメーカーなどが主催する写真クラブはすでにありますが、会員の対象が原則的にそのメーカーの製品のユーザーに限られる場合が、残念ながらほとんどのようです。活動内容も撮影会やコンテストなど、イベント的なものが中心です。しかし、フィルムカメラや関連用品のメーカーの数が限られてきた今こそ、それらのユーザーのために各社が協業で支援する体制を整える良い機会なのではないでしょうか。

先進的な写真教室の経営が総じてどような状況にあるかは、情報がないため把握することはできません。ただ、各教室のサイトにある会費や暗室使用料などの料金表を見る限り、小・中学生や高校生向けの割引料金を設けている所はなかなか見つけることはできず、ある程度お金に余裕のある客層がつかめないと利益を得ることは難しいようです。そうした問題を根本から解決するため、各メーカーや販売会社などがスポンサーになり、年少者の教室利用を促すための助成活動はできないかと、私は漠然とですが考えるのです。こうしたことは、デジタルカメラしか販売しない家電系のメーカーや販売会社には、なかなかできない営業活動と言えるのではないでしょうか。

白黒写真のプリントが体験できるワークショップの事例

常設の写真教室となると経営面で様々な課題があることからすぐには広がりにくいと思われますが、ワークショップは前回も述べたように各地で開催されるようになってきました。多くは民間の主催によるもののようですが、中には公的機関が取り組んでいるものもあります。その中で年少者を対象にした、白黒写真のプリントが体験できるワークショップなどの事例をご紹介します。

 1.公営施設主催の事例

東京都写真美術館でのワークショップの事例です。小・中学校や高校の授業の一環として利用できるプログラムも用意されています。

 東京都写真美術館ホームページ「写美」
  ○ワークショップ・カフェトーク
  ○スクールプログラム

 2.公益法人主催の事例

(社)日本写真協会は「写真を通じて国際親善の推進と、文化の発展に寄与することを目的とし」、外務省の認可を得て設立された団体です。私も日ごろからご指導いただいている先輩フォトグラファー、大野広幸さんが、昨年開催された「ワクワク!子供の写真教室」体験学習の様子をご自身のブログでレポートされていますので、ご紹介します。開催場所は、大野さんのご出身地に近い飯能市(旧名栗村)の山林。参加しているのは何と幼稚園の生徒さんで、撮影からプリントまでのフルコースです!
(私が幼稚園生のとき体験したかった。子供たちがうらやましいです…。)

 「大野広幸写真の世界(夢・希望・明日)写真日記」
  2006年9月10日付記事 マイナスイオン
  (社)日本写真協会の「ワクワク!子供の写真教室」体験学習

 大野広幸さんの紹介については、
 ブログ「比企の里から '04-'06」の2005年12月29日付記事もご覧ください。
 大野さんのホームページです。 「大野広幸写真の世界(夢・希望・明日)」

「フィルム文化を存続させる会」の活動と、
それに応えた富士フイルムの“8mm映画フィルム事業”継続発表

さて、ここで少し話題を変えてみましょう。次の各リンクをご覧ください。

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2006年7月14日付記事
  「フィルム文化を存続させる会」発足にあたって

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2006年9月2日付記事
  富士写真フイルム株式会社からの回答

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2006年11月29日付記事
  「フィルム文化を存続させる会」覚書
   フィルム文化を存続・発展させるために

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2006年12月7日付記事
  富士フイルムへの再要望書

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2007年1月11日付記事
  富士フイルムからの再要望書に対する回答

 「フィルム文化を存続させる会」ブログ:2007年1月11日付記事
  シングル8の継続を発表!

 富士フイルム(株):2007年1月10日付お知らせ
  シングル-8用フィルム
  「FUJICHROME R25N」「FUJICHROME RT200N」
  販売および現像サービス終了延期のお知らせ

8mm映画、楽しいですね。
私の家にも以前、父が若い頃愛用していたマミヤの8mmカメラがあって、小学6年生のとき友人たちとの日帰り旅行などで時々貸してもらったことがあります。日本ではダブル8と呼ばれた規格を採用したカメラで、16mm幅のフィルムに左右片側ずつ撮影し、現像後に縦方向に切り離して前後をつなぎ合わせるシステムになっていました。オープンリール式なので途中必要になるリールの反転が子供だった私には難しく、せっかく遠出までして良いシーンをとらえてやろうと思ったのに光線引きで台無しにしてしまったこともありました。
この規格のフィルムは既製品としてはもう製造されていませんが、16mm映画用フィルムをダブル8用のリールに巻いた加工品は海外で流通していて、日本でも通販で買うことができます。

 8ミリ専門店「レトロ通販」8ミリ用生フィルム

富士フイルムが開発したシングル-8による映画制作は、ほんの真似事でしたが、高校生のときに映画研究会の編集機材を借りて体験したことがあります。カメラは写真部(光画部)の先輩のお兄さんから、10倍ズームレンズが装備された当時のフジカシングル-8のハイエンド機を貸していただきました。それらのシステムがダブル8に比べ、素人の私にははるかに扱いやすいことが実感できました。
さらにその後、日大芸術学部に進学した私は、無類の旅好きだったことと同じ写真学科の人が部員に多いこともあり、文化部連盟に属する「旅の会“群”」に入りました。連盟では毎年春になると、新入生を勧誘するため各部が制作した8mmの宣伝映画の上映会が開かれていました。学部にはもちろん映画学科もあり、人材にも機材にも事欠くことはありません。私は撮影や編集には携わりませんでしたが、“群”の宣伝映画に俳優として出演するという、非常に稀な体験もすることができたのです。今ふり返れば新入生より迎える側の方が楽しんだイベントだったような気もして、それはいかに楽屋オチが多かったかということでもありますが、センスの光る秀作もたくさんありました。いろいろな意味で、学生同士がコミュニケーションを図る貴重な機会になっていたと思います。

8mm映画を制作し上映するための各種機材は、残念ながら中古市場を探すしかほとんど手に入れることはできなくなりました。
富士フイルムも、今から22年前の1985年にフジカシングル-8シリーズのカメラの販売を終了し、昨年4月の公式発表で、今年3月にはシングル-8用フィルムの販売を、来年9月にはその現像サービスの終了を予告していたのです。
それが今月10日、フィルム文化を存続させる会の方々の熱心な働きかけにより、期限付きでも富士フイルムが8mm映画フィルム事業の継続を表明したことで、私はフィルム写真撮影の未来にも明るい希望を持つことができました。

フィルム文化を存続させる会では、8mmフィルムを存続さなければならない理由のひとつに、それが「映像教育の教材に適している」(同会覚書より)ことを挙げています。私もこれまで述べてきたように、フィルムの教材としての利点には特に注目しており、同会の考えには大いに共感を覚えます。動画か静止画かを問わず、映像表現の学習にはフィルムで撮影する手法の方が、デジタル撮影よりも制作そのものに集中できると考えるからです。
小・中学校や高校では今、WEBサイトの制作を学習する機会も増えています。それらのコンテンツとして動画や静止画を用いる際はデジタル撮影の方が合理的には違いないのですが、本来そうしたパソコンによる情報処理や通信の学習と映画や写真による表現の学習とは、別々にバランス良く並行して実践すべきものなのです。学習目的を明確にし、生徒が興味をもって作品の制作に夢中になれる環境を整えるためにも、フィルムシステムをどう存続させるべきかは、これからも十分吟味していく必要があると思います。

富士フイルムによる女性のための
「フィルム一眼レフカメラはじめて教室」

富士フイルムは今日、グループ内で写真用のカメラやレンズ、暗室用品も製造販売する大手フィルムメーカーとして世界唯一の存在になりました。
(注:同社は現在、35mm判フィルム一眼レフカメラを販売していません。)
その富士フイルムが「Photodays」という、女性対象の「フィルム一眼レフカメラはじめて教室」を2日間のスケジュールで開催しています。国内の主要都市を巡回する企画で、すでに福岡と仙台以外の会場は定員(30名前後)に達する盛況ぶりです。世代別では、20~30代くらいの人たちに人気があるようです。
今のところカラーリバーサルフィルム(スライド映写用フィルム。プリントもできます。)での撮影のみですが、将来はさらにこうした企画を、白黒写真のフィルム現像からプリントまで親子で(母子で?)体験できるよう発展させられたら、楽しいだろうと思います。既存のレンタル暗室を備えた写真教室とタイアップできれば、全国一斉のキャンペーンとして大々的に開催でき、知識や技術の普及効果も高まるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
富士フイルムの事例に限らず、フィルムカメラや関連用品のメーカー、販売会社の今後の取り組みに期待することとし、今回のまとめにしたいと思います。

なお私はこうしたテーマを、1月5日付記事の年頭所感で述べた「ファミリーフォトエージェンシー」の実現に向けた働きかけともセットで、自分のライフワークにしていけたら良いなと考えています。
賛同していただける方のご意見やご協力も、心からお待ちしております。

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2007年01月23日

現像用暗室のある写真教室はどうですか? (その1)

1月27日付記事も、あわせてご覧ください。

パソコンVSソロバン&和文タイプライター

もう20年近く前の話になりますが、私が初めて就職した出版社では、書類の作成に和文タイプライターが大活躍していました。ワープロも当時1台だけ導入されていたのですが、印刷も含め全体の動作は遅く、手書き原稿を清書するだけなら熟練社員による和文タイプの方が早いし、仕上がりも美しかったのです(私は打てませんでしたが)。
その後数年を経て、和文タイプもワープロもその役割はパソコンに取って代わりましたが、総務部や社長室のソロバンはずっと健在でした。

今日、和文タイプライターを勉強できる機会というのは、世の中からほとんど失われてしまったようです。まず、中古品の入手からして困難で、かつメーカーのアフターサービスも近年ほぼ終了してしまいました。
対して、パソコンが普及するまで和文タイプと同様にオフィスの必需品だったソロバンですが、今も全国各地にソロバン教室や珠算塾などがあって、子供の習い事としても根強い人気があるようです。和文タイプに比べれば習得しやすく、お金もかからないという面もありますが、パソコンが普及してもなお一定の需要を保ち続けているのには、ほかにも様々な理由があるからでしょう。ソロバンの使い方をアニメーションで説明するパソコン用ソフトが登場するなど、逆転現象(?)さえ見受けられます。
私が小学生だったときソロバンの授業があり、私は大の苦手だったのですが、得意な子の暗算の素早さは正直、とてもうらやましく思えました。珠算を習得し、さらにイメージトレーニングを重ねることで、ソロバンは使わなくても素早く計算できるようになる、ということです。

暗室のある写真教室を

前置きが長くなりましたが、私は前々から、白黒写真の現像用の暗室も備えた写真教室が各地にできれば良いのに、と思うときがありました。近年は中学や高校でも少子化のせいか、いえ、それ以前に先生方が本当にお忙しいこともあって写真部は減少傾向にありますが、その代りを民間の教室として実現できれば、小学生や年配の方も一緒に参加でき楽しいだろうと考えたのです。

このごろは、大人も子供も交えた地域社会のつながりが希薄になってきていると言われ、子供をとりまく様々な社会問題や事件が目立つようになったのもそのためだと指摘されることがあります。写真というメディアにはこれまで、事物を記録し伝えると同時に、社会や人の意識を映し出す鏡として、つまり表現や相互コミュニケーションの手段として広く用いられてきたという実績があります。そのような写真を大人も子供も一緒になり、撮影から現像、プリント、展示発表に至るまで体験することによって、希薄になったと言われる地域社会の役割を見つめ直すきっかけが作れるのではないかと、期待したいのです。

今から3年ほど前は、レンズ付のデジタル一眼レフも安くて20万円前後はする高価な機材でした。そのため、初心者が本格的に写真の勉強を始めようと考えたとき、ズームレンズとのセットで数万円でも買えるようになったフィルム一眼レフを選ぶのは、至極当然でした。白黒フィルムに白黒印画紙、現像用薬品や暗室用品も、関連メーカーの努力によってここ数年の間にかつてないほどの改良が加えられ、私が考えるような写真教室の実現にはこの上なく良い環境が整ったように思えたものです。事実その頃、初心者を対象にした白黒写真のワークショップが各地で開催されるようにもなっていたのです。

ところが、ここわずか1、2年の間に、環境は激変しました。ズームレンズとのセットでも10万円以下で買えるデジタル一眼レフが各社から続々発売され、フィルム一眼レフは初心者用はもちろん、プロやハイアマチュア用の製品も含め、数えるほども生産されなくなってしまったのです。フィルム関連製品もすっかり減ってしまいました。本当に、あっという間の出来事でした。

ソロバン教室と写真教室

ソロバンは計算を助ける道具として長い歴史を持ち、暗算力が養えるなど実生活で役立つメリットが私たち日本人の間では広く認められています。そのため、電卓やパソコンが普及してもソロバン教室は全国各地で運営され、子供を通わせる保護者が絶えることはありません。
フィルムカメラはどうでしょう。日常生活の中の実用品として、その役割はもうすでにデジタルカメラやカメラ付携帯に取って代わられてしまったようです。写真の専門家の中には、写真表現の基本はフィルム撮影、それも白黒写真にあり、現像やプリントを自ら手がけることでその理解や能力も高まると説く人も少なくありません。しかし、そのような主張が広く一般に認められるまでには、今のところどうも至っていないようです。写真は1839年に画家で興行師のダゲールによる発明が公式発表されてから(フランス科学アカデミーにて)、まだ168年の歴史しか持っていません。さらに日本でカメラが大衆層に広まったのは1960年代以降、ほんの半世紀前のことなのですから、考えてみればそれも無理のないことのように思えます。

ところで、写真を始めるのは果たして何才ぐらいからが良いのでしょう。意見はいろいろあると思います。美術や音楽、文芸、演劇、舞踏などと違い、技術のレッスン以前にまず、人として成長するための社会教育が必要だという考えもあるかもしれません。写真が現場に出て目の前の事物に対しカメラを向けなければ撮れないものである以上、そのことが誰かの権利を侵してしまう場合もありうることまで、予め学んでおく必要はあるかと思います。このことは、パソコンや携帯、インターネットに潜む様々な問題をどう子供たちに理解させるか、という、小中学校の教育現場が今直面している課題にも通じる部分があると言えます。
これまで、デジタルカメラで写真を学ぼうとしてきた人たちのほとんどは独学で、必要な知識の多くはインターネット上で交わされる情報から得てきたのではないかと考えられます。これには、写真を専門に教える学校でさえ、デジタル撮影や撮影後の画像処理の手法を一度に大勢の学生へ教える体制が、まだ十分に整っていないという実情もあります。機材や関連ソフトの操作方法がメーカーはもちろん製品によってもかなり異なり、そのことがテキストやカリキュラムの作成など学習プロセスの構築を一層難しくしているようにも思えます。プロフォトグラファーの現場でも、急激なデジタル化を受け少なからぬ戸惑いや混乱が認められています。
これは私見ですが、大人の指導のもとであれば、写真は小学校の高学年になればもう始めても良いのではないでしょうか。機材もフィルムカメラであれば、パソコンやインターネットは必ずしも学習しなくて済みます。私の場合、初めて父からカメラを借りることが許されたのは、小学5年生になった春のことです。そして、中学1年生のとき先生へ懸命に働きかけ、夏休みの間だけ廃部になっていた写真部を復活させてくれたのは、小学生の頃からお父さんの暗室用品を借りて白黒写真のフィルム現像やプリントを勉強してきた級友たちでした。高校受験が近づくとさすがにお互い写真どころではなくなりましたが、それまでの熱中できた年月は今も、私にとっては貴重な経験として蘇ってきます。
2006年8月23日付記事2006年9月2日付記事も併せてお読みください。)

私が考えるような暗室を備えた写真教室が、子供も大人も含め社会にとってどれほど有益なものになりうるかは、あまり前例の無いことでもあり先に挙げたような漠然とした期待しか述べることができません。願わくば、ソロバン教室と同じくらい広まって欲しいというのが私の心情ですが、その前に必要な製品が今、採算悪化を理由に市場からどんどん消え、風前のともし火となりつつあります。

フィルムカメラはソロバンと同じようにこれからも生き残れるのか? それとも和文タイプライターと似た運命をたどるのか? 写真のデジタル化の流れを遅らせて良い理由は少しもありませんが、せめてあと少し、検証のための機会は残されて欲しいと切に思うのです。

欲しい、子供も大人も満足できるフィルム一眼レフ

一眼レフに限らずフィルムカメラは急速に品数が減り、特殊な用途のものか熱心な写真愛好家向けの高級機種などに製品の種類が絞られてきています。その中で一部の安価なコンパクトカメラ等はなお健在ですが、せっかく限られた時間の中で存分に写真の勉強を楽しもうというのなら、やはり自由にレンズ交換のできる手頃な値段の一眼レフが欲しいところです。

ニコンFM10(税込希望小売価格38,850円、レンズ別売)は唯一、現行製品の中ではその条件を満たすフィルム一眼レフだと思います。極めてオーソドックスなスタイルの完全機械制御式の全手動カメラで、その各操作部の配置や使い方は、例えば私が30年近く前に買ったアサヒペンタックスKMともほとんど共通です。つまり、ある程度写真の経験を積んだ中年以上の世代の人であれば、説明書の注意事項に目を通すだけで、すぐにでもFM10の使い方を初心者へも説明できるというわけです。写真教室の貸し出し用としても管理しやすいのではないでしょうか。その上交換レンズの一部は同社のデジタル一眼レフとも共用できますから、将来デジタル撮影も勉強したいという人にとっても、買い物が無駄にならないように済ませることもできます。
FM10は現在新品で買えるフィルム一眼レフの中では最も安価な製品ですが、コンパクトで子供にも扱いやすく、写真の基本を学ぶには十分過ぎる機能と性能とを持っていて、ベテランをも満足させるカメラです。その「基本を学ぶ」段階で、初心者にとってすぐには理解しにくく、ベテランでも説明に苦労しやすい要素にレンズの“絞り”があります。この点は一眼レフなら一目瞭然で、交換レンズをカメラから外しレンズ側に設けられた絞り調節リングを回して見せれば、それが私たちの眼でいう“瞳”と同じ働きをするものであることが子供でもすぐ理解できるでしょう。さらにFM10ではシャッターを切らなくても、実際にカメラを覗きながら絞りを段々と変え、効果の変化が連続的に確認できるレバーも備えられています。これにより、絞りがレンズを通る光の量だけでなく、ピントの合う範囲やその前後のボケの量まで調節する役割を持っていることも、容易に理解できるはずです。
こうした学びやすさはまさに一眼レフならではの利点ですが、残念ながら今ではFM10以外の国内メーカーの一眼レフはデジタル一眼レフも含め、絞りを原則的にカメラ側の電子ダイヤルなどで調節するものばかりになってしまいました。しかも、その操作方法は同じメーカーの製品でも機種によって異なり、初めて接する機種ではベテランでさえ、説明書を熟読しなければ分かりずらい場合もあるのではないかと心配されます。また、調節は絞りの設定を示す“F値”という数値で合わせなければならないため、初心者はまずその意味を理解しなければ、絞りの効果をスムーズに撮影で活かすことはできません。メーカーにとってはこれでレンズ側に絞り調節リングを設けなくて済むことになり、自由な設計ができるようになる訳ですが、このタイプのシステムでは今のところ、カメラを覗きながら絞りの効果を連続的に変化させ確認することができないのです。これでは写真入門のハードルが、以前より高くなってしまったと言えるのではないでしょうか。
フィルム一眼レフに限ったことではありませんが、昔の手動式カメラでは、試行錯誤をくり返しながらも自然に写真が写る仕組みを学習できたものです。今の自動化や高機能化が進んだカメラ、特にデジタルカメラでは実践より先に理論を学ばなければならないことが多く、それを嫌えばずっと自動任せから抜け出せなくなってしまうおそれがあるように思えるのです。

FM10の発売元はニコンですが、一説によるとその設計は長野県にある光学機器メーカー、コシナによるものだと言われています。コシナにはペンタックスと交換レンズが共用できる一眼レフを生産してきた実績があり、FM10はそのニコン向け仕様だという説です。幸いペンタックスは今も、絞り調節リング付の交換レンズをフィルム一眼レフとデジタル一眼レフの両ユーザー向けに発売しており、新製品も予定されているようです。ほかにも条件の似た一眼レフシステムを発売しているメーカーは国内にあるかというと、残念ながら今では見当たらなくなってしまいました。願わくばペンタックス仕様のFM10のようなカメラも近いうちに登場し、子供も含む初心者の選択肢が少しでも広がってほしいものだと思います。

〔続く〕

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2007年01月05日

2007年 年頭所感 「ファミリーフォトエージェンシー」の実現を

「今はデジタルカメラが広まって、誰でもすぐ必要な写真はパソコンで作れるようになったから、プロの写真家さんも仕事が減って大変でしょう」

世間話のついでにそんな同情ともとれるようなことを、最近はときどきですが、尋ねられるようになりました。同業者の中には、

「これだから一般のお客さんは分かっていない。撮った写真を並べて比べればプロと素人との違いは歴然としているのに」

とこぼす方も、当然ですが少なくはありません。
ですが、プロであればこそ、こうしたお客さんからの指摘には、謙虚に耳を傾け考えてみるべきではないかと思うのです。
なぜ私たちは期待してもらえなくなったのかを。

写真の需要が減ることはありません。デジタル技術の進歩で印刷コストが安くなり、インターネットも普及したことから、写真が活用される機会は今後ますます増えていくでしょう。
飲食店を例にすると、店内メニューや折り込み広告に載せる、自慢の料理や店舗の写真がまず必要でしょう。店主がホームページやブログを運営していれば、更新用にもっとたくさんの写真が欲しくなります。
ところが、かなり多くの店主の方々が、

「プロに頼むと高くつくから、忙しくても自分で撮るよ」

と考えていらっしゃるようです。そのような話を聞くと兎角プロの側は、

「そんなに経営が苦しいのだろうか。お客さんが呼べるのにもったいない」

と考えがちです。しかしそこには、極めて重要な課題が浮彫りにされていることを、もっと強く認識しなければなりません。
「高くつく」と思われてしまうのはなぜでしょう。それは本当に予算が足りないせいなのでしょうか。

違いますよね。誰もが皆同じように思っているはずなんです。
せっかくお金を使うのだから、自分の意思で楽しく使いたい、と。
ならば、プロに大切なお店の撮影を頼むのだから、どんな人に依頼しようか、楽しみながら相手を選び納得してその仕事を任せたいと、店主の方々も本当は思っていらっしゃるはずなのです。

でもなぜ、その手段が無いのでしょう?
そこが最大の課題だと、私はこの頃思うようになりました。

メニューや広告などの制作を請負ってくれる業者はいろいろとあります。特定の業界を得意とする制作会社や広告代理店も少なくありません。ただ店主側にとっては、派遣されるカメラマンが結局は業者側のお仕着せになり、自分の店のイメージづくりに時間を割いて相談に乗ってもらえないのではないかという心配が残ってしまいます。
これは、カメラマンの技量だけで量れる問題ではありません。お店の写真に限らず、どんな用途の撮影でもセンスのことなど難しい相性の問題もありますから。もし近所のカメラ屋さんや印刷屋さんの紹介、個人のつてなどで良いパートナーを見つけることができるなら、それはお互いにとってかなりラッキーな出会いと言えるのかもしれません。

プロカメラマンの世界には昔から、フォトエージェンシーという幅広いサービスを担う業界の窓口があります。ただし、その事業のほとんどはマスメディアを対象としたもので、一般の個人客の私的な利用に適した営業内容ではありません。基本的にプロ同士の仲介業であり、そこで扱われる写真の多くは、主に新聞や雑誌など大量印刷物への掲載を目的としたものなのです。

話は急に変わりますが、スタジオアリススタジオマリオトム★ソーヤピノキオといった子供向けの“ファミリー写真館”と呼ばれるサービスが相変わらず繁盛しているようですね。大企業が全国的にチェーン店を展開しており、進出された地域の個人経営の写真館からは、

「あんなのは写真館じゃない。貸し出しせずに写真を買わせる貸衣装屋だよ」
「たくさん撮ってお客さんに選ばせるなんて、素人カメラマンのすることだね」

などと、手厳しい批判を浴びせられる場面もしばしばです。商売敵ですから。

ここでまた本題にもどります。そんなファミリー写真館ですが、そこではお金を楽しみながらどう使うのか、主導権はあくまでもお客さんの側にありますよね。店主に案内されるままお決まりの記念写真しか撮ってもらえないような写真館では、お金の使い方も公共料金を事務的に払っているような味気ないものになってしまいます。今や生産者側だけでなく消費者側もクリエイターであり、エンターテナーでありたいのです。

近い将来、個人商店や中小企業からの撮影依頼、あるいは一般客の私的な利用をマーケットにしたフォトエージェンシーが実現するなら、私はファミリー写真館などのチェーン店を展開できるようなお客さんのニーズを上手につかめる企業に、その役を買って出て欲しいと思っています。すでに各地に営業網があり、地域にお住まいの方々、とくに若い世帯にブランドイメージが浸透しているというのは、単に子供向けの貸し衣装屋さんでは終わらないビジネスチャンスを開拓しているのも同然なのではないでしょうか。
また個人経営の写真館の中には、お客さんの年令やキャラクターに合わせ、その人たちが楽しめるような変化に富んだ撮影を叶えてくれる素敵なお店もたくさんあって、私もそのような写真館を実際に知っています。よりハイレベルな撮影を希望されるお客さんに、ファミリー写真館でそのような個人経営の写真館も紹介するサービスが始まれば、写真はもっともっと身近で楽しいものになるはずだと、私は思うのです。競うべきは個性や特色であって、無闇なシェア争いはお客さんを振り回し、疲れさせてしまうだけでしょう。誰のためにもならないと思います。

私がこのサイトを完全な商用目的にリニューアルし、写真撮影の仕事をお請けできるようにすることも考えられます。しかしながら、個人でできることには限界があります。
例えば結婚式の披露宴のスナップ撮影をお承りして、万が一直前になってノロウィルスやインフルエンザなどに私が感染してしまったら、大至急代理のカメラマンを手配しなければなりません。ですが、私の人脈だけではそのような急な事態にまで対応し切れない場合も考えられます。これではいけませんね。
だから地域社会に密着した、それでいて幅広い営業網やサービスのノウハウも兼ね備えたフォトエージェンシーの実現を、私は願うのです。
いっそのこと“ファミリーフォトエージェンシー”(仮称)と名付けてみましょうか。

私自身が起業するわけにもいきませんので、2007年はまず、具体的にどのような企業に創業のラブコールを送るか、候補者探しの第一歩を踏み出したいと思っています。
賛同していただける方のご意見やご協力も、心からお待ちしております。

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2006年12月20日

ホンダが小川町ひばりが丘に新エンジン工場建設 2009年稼動予定

*取り急ぎお知らせいたします。
 11月13日付「ホンダ関連の工場候補地から滝ノ沢町有林は外れる見通し」
 もあわせてお読みください。

 本田技研工業(株):2006年12月19日付「Honda広報発表」
  2006年末記者会見 福井社長スピーチ骨子
  2006年年末社長記者会見映像

 「NIKKEI NET:クルマ」:2006年12月19日付記事
  ホンダ社長「2007年国内販売、新型車投入などでプラスに」

 「朝日新聞」:2006年12月21日付記事
  ホンダ 小川にエンジン工場

 「埼玉新聞」:2006年12月20日付記事
  ホンダ 小川町にも新工場 エンジン生産 「寄居」から分離
  ↑記事は12月26日(火)までネット公開されます。

 「毎日新聞」:2006年12月20日付記事
  ホンダ:小川町に新工場、09年稼働 低燃費車エンジン製造

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2006年11月13日

ホンダ関連の工場候補地から滝ノ沢町有林は外れる見通し

11月10日に小川町議会全員協議会で町執行部が説明

5月25日付記事「ホンダ関連の工場用地になりうる小川町角山の滝ノ沢町有林」の中で私は、

滝ノ沢町有林では現在、NPOふうどや私も参加させていただいている里山クラブ“you-you”などの団体が、里山環境を活かした野外体験活動や自然観察等に活用し、同時に下草刈りや遊歩道整備などの保全活動も年数回実施しています。
こうした活動は町の『小川町環境基本計画』に基づくものですが、『小川町第4次総合振興計画』とは担当課が異なり、今後住民や関係者も交え、両計画の間で何らかの調整が図られることになるかもしれません。

と書きました。今年3月に策定された『小川町第4次総合振興計画』(PDF)の中で、滝ノ沢町有林を含む一帯の地域も工業・流通系活用地に指定されているからです。
6月と9月に開かれた小川町議会定例会の一般質問では、ホンダ関連企業の工場誘致にあたり、より条件の良い土地の確保とそれに伴う本振興計画等の見直しの必要性について複数の議員が指摘しました。
町でも、ホンダから用地は分散せずにまとめてほしいとの意向を受け、町有地だけでは不十分との見方から候補地の検討を進めていたようです。
このたび、11月10日に開かれた小川町議会全員協議会で、工場誘致の具体的な候補地について町執行部から議会への説明があったそうです。内容については管理人判断により現時点では控えさせていただこうと思いますが、第4次総合振興計画では住宅地や保全森林とされている区域の一部で、滝ノ沢町有林からは少しだけ離れた場所になります。

この情報は里山クラブ“you-you”会長の佐藤章さん、小川町議会議員の森田みどりさんから教えていただいたほか、同じ町議員の柳田たえこさんのブログもあわせて参考にさせていただきました。
柳田さんのブログの11月11日付記事から、一部を転載させていただきます。

10日に帰着後、午後6時から全員協議会。
3月に議決した第4次総合振興計画基本構想と第3次国土利用計画の一部変更について執行部から説明を受けました。本田関連企業の誘致を積極的に受け入れるため4次総の計画では住宅地、保全森林となっていた一部区域を工業・流通系活用地と変更するものです。
今後のスケジュール(予定)としては、11月、一部変更方針の決定、一部変更案の作成、審議会の開催(4次総の審議会委員が再登用)地区説明会、パブリックコメント(ホームページ)を経て12月議会に議案として上程されます。

(このことについての柳田さんのコメント)
区域を変更することは慎重に考えなければならないと思います。当初の期待したもくろみとは違う結果にならないか、長期的に見てどうなのか。町の将来をしっかり見据えて考えたいと思います。

 「おげんきですか 柳田たえこです」
  2006年11月11日付記事 土地利用の変更について より

住民グループがホンダへ宛てた『環境影響評価計画に対する意見書』

小川町里山クラブ“you-you”は、この春ホンダが小川町との境に位置する寄居町富田地区への新工場進出を公表したことから、滝ノ沢町有林を含めた小川町での住民による里山保全活動への理解と配慮を求めるため、同社に宛てて次のような『環境影響評価計画に対する意見書』を提出しています(転載承諾済)。

『環境影響評価計画に対する意見書』(抄)

 小川町里山クラブ “you-you”
  会長 佐藤 章

 環境からみえる小川町の現状

 1980年代後半、小川町は経済優先・地域環境置き去りの行政が先行し、プリムローズCC破綻に象徴される乱開発を招きました。その負の遺産は21世紀の小川町の町づくりに大きな障害となっております。
 自然豊かな里山は利権がらみの業者に買収され、バブル崩壊後はゴミが放置され、業者は倒産し、里山は不法な産廃業者の暗躍する場となってしまいました。こうした現状を憂慮し、里山の保全整備に汗を流す町民グループが、里山文化の再生と継承・地域コミュニティの創出の夢に向かって活動しています。

 21世紀は環境創生時代

 21世紀は環境創造時代です。今までのような守りの環境評価ではなく、育成する・創出する環境評価が求められています。それは企業・住民・行政が一体となって始めて可能となります。
 工場建設のための造成は必要最小限度にし、周囲の環境に調和し里山の自然の生態系を深め、高める「ホンダ」の企業戦略が求められています。これは貴社の製品が環境に優しく、工場建設が地域の人から愛される戦略にもつながります。

 町は里山づくりのモデル地区と指定
 角山滝ノ沢町有林(7.2ha)

 今回の環境影響評価書の寄居工場の近くに位置する、小川町角山滝ノ沢町有林(7.2ha)は、小川町の環境基本計画で町が「里山づくりのモデル地区」と指定し、町民がボランティアで調査整備活動を行い5年目に入っている里山です。
 町有林の整備計画は2001年からの3年間の調査活動を経て2005年に策定し、のべ1000人以上の町民が関わり、憩いの森・循環の森・体験の森とゾーン区分し、里山文化の再生と継承、地域のコミュニティの創出、グリーンツーリズムの拠点、子供たちの環境教育の場になっております。
 昨今の「ホンダ工場」の流れの中で、行政の一部には町有林に「ホンダ」の関連企業の誘致の考えもあるとのことですが、貴社においては、人の心を育て、里山文化を再生する活動に対し特段の配慮を要望いたします。

 地域に寄与する工場建設を

 地球温暖化・排気ガス・水質汚染・金属類の粉末の飛散・騒音・交通渋滞等に十分対処し、里山の生態系の保全と育成、資源循環型社会を目指して、人づくり・物づくり・地域づくりに寄与する大企業「ホンダ」の名にふさわしい工場になることを期待し意見書とします。

 「雑木林」6号(2006年11月12日 小川町里山クラブ “you-you”発行)より

ホンダも物づくりに取り組む企業として、自然環境や生態系の観測、評価方法については高度な技術とデータの蓄積を持っていることと思います。そのようなノウハウがこの地域へ活かされることを、大いに期待したいと思います。

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2006年10月16日

「小川町万葉灯籠(とうろう)まつり」が開催されました

『万葉集』の研究者、仙覚律師ゆかりの地で

10月14日(土)、15日(日)の夕方から駅前通りや北裏通りにを中心に、「小川町万葉灯籠まつり」が初の試みとして、住民の手作りにより開催されました。主催は小川はつらつ商店会の皆さんです。小川町は、鎌倉時代に学問僧の仙覚律師が万葉集の研究書『万葉集註釈』をまとめた地と伝えられています。

△灯籠に照らされた北裏通り(左)と、
  特産の小川和紙でつくられた万葉の衣装を着飾った子供たち(右)。
  ※クリックで大きな画像が開きます。

 *撮影データ*
 埼玉県比企郡小川町小川及び大塚にて
 2006年10月15日撮影
 Camera:PENTAX K100D
 Lens:SMC PENTAX-FA☆ 24㎜F2 AL[IF](左)
     SMC PENTAX-DA 14mmF2.8ED[IF](右)

“武蔵の小京都”として親しまれている小川町。東武東上線小川町駅前通りを中心に14、15日の2日間、「小川町万葉灯籠(とうろう)まつり」(同まつり実行委員会主催)が行われる。地域住民による手作りのまつりで、同実行委では「町の活性化につながるまつりになってほしい」としている。
鎌倉時代に鎌倉で天台宗の僧、仙覚(せんがく、1203~1272)がまとめた「万葉集註釈」は、今でも万葉集研究の基本書として評価は高い。全十巻の一部は、小川町で書かれたとみられている。
〔中略〕
町を元気にしようと町と住民で組織する小川町プロジェクトが昨年、駅前通りなどに代表的な歌と解説を記した万葉モニュメント70個を設置した。
〔中略〕
点灯時間は午後5時から9時。万葉の衣装を身に着けたパレード、撮影会もある。14日は夕市が、15日は万葉集朗唱が行われる。
同事務局長の八木忠太郎さんは「万葉の衣装の素材はもちろん小川和紙で手作り。歌碑も楽しみながら会場を回ってほしい」と話している。

 「埼玉新聞」:2006年10月13日付記事より抜粋
  14、15日の夜に万葉灯籠まつり 小川
  「武蔵の小京都」にいにしえの火歌碑で町おこし
  ↑記事は10月19日(木)までネット公開されます。

まつりの事務局長を務められた八木忠太郎さんは、日本五大名飯「忠七めし」で知られる割烹旅館二葉の14代館主です。

 割烹旅館 二葉:新着情報
  小川町万葉灯籠まつり開催のお知らせ

各協賛者の公式サイトをご紹介します。

 小川町商工会仙覚万葉の会ひき21

今回の催しは住民を中心としたいくつかのグループが、それぞれの研究や活動の成果を持ち寄り、初めて実現したのだそうです。特産の小川和紙で作られた万葉の衣装にも灯籠の明かりにも、たくさんの人たちの協力があったことでしょう。一番心配されるのが費用のことですが、スポンサーが集まるまで、商店会を中心に関係者の方々のご努力は大変なものだったろうと思います。ただ企画書を書いて示すだけなら誰でもできることかもしれませんが、小さな試みや実践の積み重ねと周到な準備とが整わなければ、これだけの協賛を得ることはできないのではないでしょうか。
この「小川町万葉灯籠まつり」をきっかけに、『万葉集』や仙覚律師に関心を持つ人たちも、きっと増えてくることでしょう。いつかは協賛の輪が広がり、夜の灯籠だけでなく、明るい里山の中でもこうした催しが開けるようになれば、仙覚律師がどのような思いでここ小川を『万葉集』研究の地に選んだのかも偲ばれ、まつりの意味もより深いものになるのではないかと感じました。

町の人口はここ数年減少傾向ですが、幸い新興住宅地の分譲や企業誘致の可能性もあり、車や電車など交通の便も次第に良くなってきました。歴史ある小川町に魅力を感じてくれる人が増えてくれれば、私も嬉しく思います。

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2006年09月25日

オリンパスが木製デジカメの試作品を「フォトキナ2006」へ参考出展

ヒノキの美しさを生かした外装
強度はエンジニアプラスチック以上

 「BCNランキング」:2006年9月26日付記事
  オリンパス、木材の三次元圧縮成形加工技術を開発、
  天然の木目を外装に

オリンパスは9月25日、面精度の高い金型加工技術による木材の三次元圧縮成形加工技術を開発発表しました。
同社はこの新技術で、ヒノキ外装のデジタルカメラを試作。9月26日(現地時間)からドイツで開催される写真・映像関連の見本市「フォトキナ 2006」へ参考出展するそうです。

オリンパスは、人がモノに対して情緒的価値を持てるモノづくりとは何かを考えてきました。
その一つの回答が、今回開発した自然素材である「木」を使った三次元圧縮成形加工技術であり、この技術により本来「木」が持っている天然の色・つや・木目の美しさの表現、電子機器の外装・筐体に使うことができる薄さと硬さを両立しました。

 オリンパス(株):2006年9月25日付ニュースより抜粋
  オリンパス、木材の三次元圧縮成形加工技術を開発

↓木製デジカメ試作品の画像は、次のページが豊富です。

 「デジカメWatch」:2006年9月25日付記事
  オリンパス、木材をカメラなどの筐体に用いる技術を開発
  ~木製筐体のデジカメをPhotokinaに参考出品

 「ITmedia +D」:2006年9月27日付記事
  プラスチックより堅い木製デジカメ

日本は木製カメラの主要生産国

カメラはもともと、木で作られるのが普通でした。
世界で初めて市販された写真機「ダゲレオタイプカメラ」(技術は1839年のフランス学士院科学アカデミーで発表)も木製でしたし、今日の4×5インチ判(通称シノゴ)以上の大きなシートフィルムで撮影するカメラも、携帯向きのものではまだまだ木製品を見ることができます。
そのような携帯向きの折りたたみ式木製大型カメラはフィールドカメラや組立暗箱と呼ばれ、イギリスで発展した後世界中で生産されました。今はもう、実用品として常時生産しているメーカーは極めて少なくなりましたが、日本は古くから指物の技術が培われてきたこともあり、東京都内を中心に数軒のメーカーや販売会社が残っていて、世界有数の木製カメラ生産国として業界では知られています。
これも不思議な縁ですが、世界的に人気のあるメーカーは、ウィスタ(板橋区常盤台)、エボニー(板橋区大山)、タチハラ写真機製作所(北区豊島)など、なぜか東武東上線の沿線周辺に集まっています。
私もエボニーやタチハラの木製カメラを愛用していますが、タチハラの4×5判には大学の卒業制作でもお世話になりました。標準レンズ1本と数枚のフィルムホルダーだけを持ち、新雪の武蔵嵐山渓谷や早春の越生梅林、彼岸花咲き乱れる東松山の都幾川堤を撮り歩いたのも、今は懐かしい思い出です。

限られていたカメラ向きの木材

タチハラでは国産素材にこだわり、北海道の日高山脈で育った樹齢300年以上の朱利桜(ヤマザクラの一種)を十分枯らして加工していますが、近年は資源が枯渇してきこともあり、他社では輸入木材の方が主流になりつつあります。ウィスタでは奈良県吉野産の桜材や輸入の紫壇、黒檀材の中から素材を選べますが、エボニーでは強度の利点からも輸入の黒檀、マホガニー材の使用に徹しています。
工芸品としての趣きも魅力ですが、カメラが精度と耐久性とを求める精密光学機器である以上、使用できる木材も自ずと限られてしまうのは止むを得ません。趣味でカメラを手作りするなら自由に素材選びを楽しむこともできますが、商品として買ってもらおうとなると話しは別です。

地場産業との結び付きに期待

お隣のときがわ町は「木のむら」を宣言するスギやヒノキの名産地で、私の住む小川町とともに、昔も今も日本有数の建材や建具、家具の産地です。ところが地元ブランドで流通する機会が乏しく、近年は安い輸入木材におされてしまい、関東でさえ知名度はそう高くありません。需要低迷から林業も斜陽化傾向で、手入れの行き届かなくなった森林の荒廃も心配されています。新しい木材の需要開拓は、これまでにも度々町おこし、村おこしの一環として検討されてきたようですが、まだ大きな成果は得られていないのが実状です。

今回オリンパスが発表した成形加工技術は、これまでカメラにはほとんど不向きだったヒノキ材も、装飾性を兼ね備えた適材に変えられるところが快挙だと思いました。デジタルカメラのような製品なら部材はそれほど大きくなくて済むので、例えば間伐材の新しい需要の掘り起こしに結び付くかもしれません。また、かつては薪や炭などの燃料や堆肥材料を得るため利用されていた雑木林も、豊かな植生を回復させ様々な装飾用木材の生産林として活用できれば、放置による荒廃も防止でき素晴らしいと思います。併せて、プラスチック使用と比べ環境への負荷がどう変わるかも、注目したいところです。

私は表現のための道具として、楽器や画材、筆記具、舞踏などの小道具には今も伝統的に木材が豊富に活かされているのに、なぜかカメラは急速にプラスチック化されてゆくことに寂しさを感じていました。だから、ヒノキのように私たち日本人に愛されてきた身近な木材がカメラにも利用できる時代が来たことに、新鮮な感動を覚えました。
願わくばそう遠くない将来、地域の学校アルバム撮影の仕事でも、子供たちのために地元産の木材が使われたカメラを持って訪問できるようになれば良いな、と思っています。

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2006年05月25日

ホンダ関連の工場用地になりうる小川町角山の滝ノ沢町有林

5月22日付記事からの続きです。
11月13日付「ホンダ関連の工場候補地から滝ノ沢町有林は外れる見通し」
 もあわせてお読みください。

『小川町第4次総合振興計画』で工業・流通系活用地に指定

お隣の寄居町へホンダ新工場が進出することを受け、県も系列部品メーカーの集積に期待し、周辺の用地探しに動き出すそうです。
新工場予定地に近い小川町域もその対象になると見られ、5月21日の小川町長選で「隣の寄居町にホンダの工場が進出することもあり、企業誘致を積極的に進めていきたい」(5月20日付「埼玉新聞」記事より)と主張する現職の笠原喜平候補が再選を果たしました。

小川町は今年3月、『小川町第4次総合振興計画』(PDFファイル)を策定し、工業・流通系活用地は、その第2編、第3章、第3節に収録の「土地利用構想図」(本文P.11)に示しています。そのうち新工場予定地から極めて近いのが、第3次計画時も工業・流通系活用地に指定されていた、角山地区に広がる滝ノ沢町有林を含む一帯の地域です。
公有地ですから県の用地探しでは最初から候補に挙がると予想され、用地代が町の収入になれば、客観的にはたいへん有望な用地と見なされると考えられます。これから分譲されるひばりが丘住宅団地や隣接するみどりが丘団地からも近く、通勤も至便なことから、職を求めて小川を離れた人たちが戻ってくる可能性もあるでしょう。

『小川町環境基本計画』に基づく滝ノ沢町有林での環境活用と保全活動

この町有林いついて私は、昨年11月に町が『小川町第4次総合振興計画(基本構想・基本計画)案』に関する意見等の公募をした際、文京系活用地として見直すことはできないか、メールで要望を提出しました(2005年11月14日付記事参照)。「昨今の社会・経済情勢から考えるともはや現実味がありません」というのが大きな理由の一つでしたが、これまで記した動向から、状況は大きく変わってきたと受け止めざるを得ません。
滝ノ沢町有林では現在、NPOふうどや私も参加させていただいている里山クラブ“you-you”などの団体が、里山環境を活かした野外体験活動や自然観察等に活用し、同時に下草刈りや遊歩道整備などの保全活動も年数回実施しています。
こうした活動は町の『小川町環境基本計画』に基づくものですが、『小川町第4次総合振興計画』とは担当課が異なり、今後住民や関係者も交え、両計画の間で何らかの調整が図られることになるかもしれません。
どちらの担当課にも、自然環境保全や希少な野生動植物の保護などについて専門的な知識や経験を培われた職員さんがおられ、私も町内の団体活動等を通じ、様々なご指導をいただいています。
私としては、当然のことですが調整が行われる際には公正に取り進められることを期待し、必要に応じ滝ノ沢町有林界隈で撮影した野生動植物や団体の活動記録等の写真も資料として提供に応じられるよう、準備を整えておかなければならないと考えているところです。


<追記>

都市近郊では自然環境や生態系、歴史的景観などを開発から守るため、自治体が地権者から水源地や雑木林、古い街並などを買い取る動きがしばしば見られます。
また、地権者の方から自治体へ、そのような目的で土地を寄贈する事例も少なからずあるようです。

 「埼玉新聞」 :2006年5月24日付記事
  荒幡の原風景を末永く 所沢「ドレミの丘公園」完成 土地所有者、寄付
 (↑公開期間は7日間です。)

 「東京新聞」 :2006年5月25日付記事
  荒幡小の児童が合唱で開園祝う 所沢・ドレミの丘公園
 (↑公開期間は約1ケ月です。)

小川町にはそのような土地が売る(貸す)ほどあるのですから、事情を説明しなければ(あるいはしたとしても)、都市部やその周辺の方々からは「恵まれているなぁ」と思われるかもしれませんね。

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2006年05月22日

ホンダ新工場とひばりが丘住宅団地、寄居町と小川町との境に数年で完成

ホンダの四輪車新工場は年産20万台規模で従業員2,200人
ひばりが丘住宅団地は約1,000戸を東武鉄道が販売

先頃、一時は立ち消えになったかに見えた土地開発事業の復活が相次いで報道されました。場所はちょうど寄居町と小川町との境、国道254号小川バイパスの金勝山トンネルを挟んだ位置になります。

5月17日付の「Honda広報発表」によると、四輪車新工場は投資金額約700億円で、2008年頃から寄居町富田地区の国道254号沿いにある面積約80万m2の敷地に建設。2010年に稼動する予定で年産20万台規模、従業員2,200人程度の見通しということです。
また、5月18日付の「毎日新聞」記事によると、今回の投資額は県内でも過去最高とのこと。県も系列部品メーカーの集積に期待し、周辺の用地探しに動き出すそうです。
一方、ひばりが丘住宅団地は約20年前、某開発会社により小川町靭負(ゆきえ)地区に計画されましたが、小川バイパス沿いに造成が進められたものの不況のため頓挫。東武鉄道が事業を引継ぎ、数年がかりで約1,000戸を販売することになり、5月14日付の「埼玉新聞」記事でも報道されました。

 本田技研工業(株):2006年5月17日付「Honda広報発表」
  Honda、埼玉県寄居町に新拠点-四輪完成車 年産20万台規模

 「毎日新聞」 :2006年5月18日付記事
  ホンダ:寄居町に新工場 雇用2200人に期待 県「用地確保が課題」

ホンダの工場予定地は以前、1990年頃に同社の物流拠点建設の予定地として位置付けられましたが、その後不況のため中止された経緯があります。
ひばりが丘住宅団地の造成中断もその煽りを受けた格好ですが、前回の計画規模を上回るホンダの新事業展開や東武鉄道参画などの好機を得て、今後の造成や分譲にも追い風が吹くことになりそうです。
なお、先述の「毎日新聞」記事によると、ホンダ新工場の雇用者の6~7割は新規採用ということです。

小川町長選では現職の笠原喜平候補が再選
「隣の寄居町にホンダの工場が進出することもあり、企業誘致を積極的に進めていきたい」

さて、小川町では5月21日、任期満了に伴う町長選が行われ、現職(1期)の笠原喜平候補が再選を果たしました。
告示前日までは無投票で再選となる公算が高いと見られていたのですが、「無投票は民主主義の権利に反し、町民の政治参加を奪ってしまう。優秀な首長でも四年間の実績を示し、今後の目的を住民に伝え、選挙による選定を受ける必要がある」(5月18日付「埼玉新聞」記事より)と主張する無所属新人の渡辺勝夫候補が出馬したことにより、私たち有権者はこの間、両候補者のビジョンを聞く機会が得られました。

 「埼玉新聞」 :2006年5月18日付記事
  小川町長選立候補者の横顔 (←公開期間は7日間です。)

 「埼玉新聞」 :2006年5月20日付記事
  小川町長選、21日投開票 (←公開期間は7日間です。)

 「埼玉新聞」 :2006年5月22日付記事
  笠原氏が再選 小川町長選 (←公開期間は7日間です。)

5月20日付「埼玉新聞」記事でも報じられましたが、笠原候補は「隣の寄居町にホンダの工場が進出することもあり、企業誘致を積極的に進めていきたい」と街頭演説で主張しました。ホンダ工場予定地やひばりが丘住宅団地にも近い小川町笠原出身の笠原候補は、この主張でより安定した支持層を獲得できたのではないかと思われます。

ところで、「企業誘致を積極的に進めていきたい」とありますが、用地確保についてはどのような具体策が考えられるのでしょうか。ここで、『小川町第4次総合振興計画(平成18年3月策定)』の「第2編 基本構想」から、「第3章 まちの将来像」の「第3節 土地利用の構想」に挿入されている「土地利用構想図」を見てみたいと思います。
同計画のPDFファイルは小川町役場公式サイト内、小川町の紹介-小川町の計画・調査報告書欄からダウンロードページへ進めます。

 ・小川町第4次総合振興計画(全体)
  PDFファイル(1220KB)

「小川町第4次総合振興計画(基本構想・基本計画)案」に関する意見等の公募について、当ブログの2005年11月14日付記事もあわせてお読みください。


5月25日付記事へ続く

項目: 町づくり・町おこし , 行政・議会

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