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2007年02月06日
柳沢発言に見る「産む機械、装置」とはどのようなものか?
*2月4日付記事の続きです。次の各記事へトラックバックします。
「J-CAST ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
「livedoor ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
そもそも、「産む機械、装置」とはどのようなものか?
1月27日に松江市で開かれた自民党県議の後援会の集会で柳沢厚生労働相が発言した内容について、非難の声が高まっています。
「朝日新聞」:2007年1月28日付記事(抜粋)
→「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
この件について柳沢厚労相は、次のように釈明しています。
「朝日新聞」:2007年1月30日付記事(抜粋)
→「支持率下がったら本当に残念」柳沢厚労相が釈明
柳沢厚労相は30日の閣議後の記者会見で、自らの発言が「非常に不適切だった」と改めて陳謝し、内閣支持率が下がる可能性については「もしそういうことがあれば、本当に残念ですし、大変申し訳ない」と話した。「人口推計を説明するためにそういう表現をしてしまった。一般的にそういう考え方をもっているわけでは全くない」と述べ、国会での議論を通じ釈明する考えを示した。
「人口推計を説明するために」「産む機械、装置」という表現をしたそうですが、少子化問題を考える上で果たして分かりやすい説明に結びつくのでしょうか?
仮に受精卵を出産の段階まで育てる機械が開発されれば、例えば絶滅が心配される動物の繁殖などに応用することはできそうです。しかしその後、どう野生へ返すかについては、自然環境や生態系のバランスとの関連について慎重な調査や議論が必要だろうと思います。さらにそれを人の不妊治療へ適切に用いることは可能かとなると、倫理上、社会上、様々な観点から極めて難しい問題をかかえることになりそうです。
「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらう」という柳沢発言は、そのまま受け止めれば機械の改良、つまり製造費や維持費の削減、自動化、小型軽量化等を図っていけば少子化問題も解決する、という説明になります。ところが、私たちも産まれてくる子供たちも機械ではないからこそ、少子化問題の解決がなかなか思うように行かず、多くの悩みを抱えているのです。そもそも、性格上実用化が極めて難しい機械に例えること自体、あまりに軽率だと言わざるを得ません。説明を分かりやすくするどころか、かえって問題の焦点が見えにくくなってしまったのではないでしょうか。
「一人頭で頑張ってもらう」、というのは立派な正論だと思います。もっとも、ここで言う「一人頭」には本人が自ら望んで加わるのが自然な営みです。実際、私も身近な人たちから、独身で子供もいないことを心配していただくことがあります。“身近な人たち”の心配だからこそ、深く身に染みるものです。
今回の講演は、「年金や福祉、医療の展望」がテーマだったそうです。私見ですが、柳沢氏には“厚労相の立場で”自らの方策を啓蒙し、問題の焦点を分かりやすく説明する役割が期待されていたはずではないでしょうか。
その能力と人選の責任が今、厳しく問われているのだと思います。
よみがえる「蛍の里」(埼玉県比企郡小川町)
私の自宅のすぐ側、小川町中爪内洞沢(うちぼらざわ)の谷津は、ようやく「蛍の里」として知られるようになりました。去年の夏は過去最大規模のゲンジボタルの群舞が見られ、遠く県外からもたくさん見学の人たちが訪れ賑わいました(2006年7月8日付記事参照)。
1950年代までこの谷津の小川や田んぼでは、夏の夜になると「提灯いらず」と言われたほど多くの蛍が見られたそうです。それが農薬の影響で次第に姿を消し、ついには減反政策もあって田んぼは荒地に変わってしまったのです。
今はこの谷津にお住まいを移されている地元ご出身の清水浩史さんは、30年も前から荒地の整備に取り組んでこられました。その甲斐あって元の美しい環境はもどりましたが、多くの野生動植物が復活したにもかかわらず、なかなか蛍たちは帰ってきてくれませんでした。そこで6年前、30匹だけほかの場所から蛍の幼虫を小川へ放したところ、彼らが仲間を呼んできてくれたのでしょうか、年々その数は増えていったそうです。
幻想的な蛍の光は、雄と雌とが呼び合う求愛行動だそうです。清水さんは仲間の遠ノ平山遊会の皆さんとともに、小川の草陰に産み落とされた蛍たちの卵をやさしく見守り、幼虫が水から上がって土の中で蛹(さなぎ)になる初夏には、踏み荒らされないよう訪れる人にも注意を呼びかけるなど地道な保全活動を続けられています。
△春爛漫の内洞沢(2005年4月中旬撮影)
すぐ側を走る東武東上線の車窓からも、蛍の生息地は良く見えます。
△内洞沢に舞うゲンジボタルの光跡(2005年6月24日、21時15分頃撮影)
清水さんたちは、単に蛍の観光名所を作りたいのではありません。蛍も人の暮らしも含め、たくさんの動植物で構成された豊かな生態系を取りもどそうとされているのです。そのため、命の源である小川の水源地を常に監視し、保水力のある山林を産廃処理施設開発から守るため自費で買い取って手入れをするなど、並々ならぬ努力をされています。
蛍の幼虫の餌はカワニナなどの淡水産貝類ですが、その数が少なくても多過ぎても生態系全体のバランスが崩れるので、人工的な飼育は極力避け、環境整備を中心に活動計画を立てられているのだそうです。
清水さんにお会いするといつも、蛍にまつわるいろいろなお話を聞かせていただくのですが、彼らを産卵装置に例えるようなお話はうかがったことがありません。分かるのは、水源地や豊かな生態系のバランスを守ることの大切さです。
自然で飯が食えるか!?
「自然で飯が食えるか!?」というような台詞が、1960年代の日本でしばしば聞かれたそうです。今でもそんなことを言う人はおられるかもしれません。
人の暮らしを含めた自然の循環も、また経済の循環も、どうすれば円滑にできるかは根本的にあまり違わないように思えます。
私たちの暮らしの源になる食料も資源もエネルギーも、結局のところ自然界からしか得ることはできないのですから。自然が飯そのものなのです。
*2月4日付記事へもどる。
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2007年02月04日
柳沢厚労相と御手洗経団連会長(キヤノン会長)の発言に失望
*2月6日付記事もあわせてご覧ください。
柳沢厚労相の発言、「女性は子どもを産む機械」!?
先日、所要で都内へ出るため最寄の東武東上線小川町駅へ向かいました。駅に着くと、ちょうど町議員の本多さんと柳田さんが駅頭宣伝の準備をされているところでした。私の暮らす八和田地区の本多さんや千野さん、柳田さんも含め町議員の皆さまには、昨年秋に実現した八和田学童保育クラブ開設の際にはたいへんお世話になりました。八和田小学校には私の妹夫婦の子供、姪のNaoちゃんとその弟のToshi君が通っていて、妹も学童開設のためアンケート調査や署名運動に携わっていました。
久しぶりにお会いしてあいさつを交わしているとき、「今日最初の受取人です」と1枚のチラシをいただきました。そこには次のようなタイトルが大きく書かれていました。
柳沢発言「女性は子どもを産む機械」
予算審議前に大臣罷免を
問題になったのは1月27日、松江市で開かれた自民党県議の後援会の集会で柳沢厚生労働相が発言した内容です。「朝日新聞」では次のように報じています(抜粋)。
「朝日新聞」:2007年1月28日付記事(抜粋)
→「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
このような発言に対し安倍総理は厳重注意に止めましたが、それだけでは済まされないと、与野党双方から非難の声が上がっています。
私もこのような例え方には強い不快感を禁じ得ません。「年金や福祉、医療の展望について」の講演に相応しくないばかりか、厚労相としての自覚に全く欠ける言動です。「一人頭で頑張ってもらうしかない」のは、子育て世代なら男女とも重々承知です。この世代には出産や子育ての不安、両親の、そして自分たちの老後の不安が重くのしかかっています。お勤めの方はもちろん、自営業者の家庭でも深刻な悩みをかかえている場合は少なくないのです。声だけの励ましなら、私にはただのお節介にしか感じられません。
「おげんきですか 柳田たえこです」:2007年2月3日付記事
→やはり、おやめになる方が・・
「毎日新聞」:2007年2月5日付記事(抜粋)〔2月5日追記〕
→政府・与党:厚労相続投で野党押し切る構え 選挙結果受け
4日投開票の愛知県知事選、北九州市長選で与党推薦候補が1勝1敗となった選挙結果を受け、政府・与党は「クビはつながった」(自民党幹部)として柳沢伯夫厚生労働相を続投させ、野党を押し切る構えだ。ただ、圧勝を期した愛知で与党推薦候補が接戦に持ちこまれるなど「女性は産む機械」との発言が投票結果に影響したとみられるだけに、野党側は対決姿勢を崩していない。
〔中略〕厚労相発言への世論の反発や閣僚の事務所費など「政治とカネ」をめぐる問題で与党が引き続き厳しい国会運営を迫られることは確実で、自民党内には、春ごろと見込む予算案成立後の内閣改造を求める声もある。
御手洗経団連会長が柳沢厚労相を擁護
柳沢厚労相の発言に関して御手洗経団連会長(キヤノン会長)は、「謝罪で十分」との認識を記者会見で述べています。
時事通信「時事ドットコム」:2007年1月31日付記事(抜粋)
→柳沢厚労相、進退に及ばず=謝罪で十分-御手洗経団連会長
日本経団連の御手洗冨士夫会長は31日、大阪市で記者会見し、「女性は子供を産む機械」と発言した柳沢伯夫厚生労働相の辞任を求める声が与党内からも出ていることについて、「すぐに謝罪、訂正しているので、それでいいのではないか。進退をどうのこうのということにはならないと私は思っている」と述べ、辞任する必要はないとの認識を示した。
御手洗会長は同相の発言の真意に関し、「多分、分かりやすく説明しようとして不用意な言葉が出たのではないか」と擁護した。
こうした擁護の背景には昨年12月、御手洗会長が柳沢厚労相へ「朝日新聞」の次の記事(抜粋)で報じられているような要請をしたこととも関連がありそうです。
「朝日新聞」:2006年12月11日付記事(抜粋)
→「残業代ゼロ労働」導入を要請 経団連会長、厚労相に
日本経団連の御手洗冨士夫会長と柳沢厚生労働相らが11日、東京都内のホテルで懇談し、労働法制見直しなどについて意見交換した。経団連側は、一定条件の会社員を労働時間規制から外し残業代を払う必要がなくなる「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入のほか、派遣労働者の期間制限や雇用申し込み義務の廃止などを要請した。
御手洗会長の叔父は
キヤノンカメラ初代社長にして元産婦人科医
御手洗冨士夫会長の叔父にあたる人に、キヤノンの創業者の一人、御手洗毅キヤノンカメラ(現キヤノン)初代社長がいます。御手洗毅さんは小さな町工場から出発したキヤノンの前身、精機光学研究所を資金面でも経営面でも強力に支え、1945年に敗戦の影響で一時解散に陥った会社を再び大企業へと押し上げた功労者です。その前職が産婦人科医だったこともあり、社員へ家族の健康の大切さを説いて「G・H・Q(Go Home Quickly~早く家へ帰れ!)」などの標語を掲げられたことでも有名です。そのような方が今もご健在なら、女性を「産む機械、装置」に例えた先の発言をどう思われたでしょう。
キヤノン(株):キヤノンカメラミュージアム|歴史館(長編物語)
→キヤノンカメラ史1937-1945 御手洗毅 代表取締役に就任
御手洗冨士夫会長の柳沢厚労相を擁護する発言を聞くと、叔父さんから一体何を学んできたのか疑問に思えてなりません。一連の労働法制見直しなど、初代が掲げた「Go Home Quickly」の標語に反する行いではないでしょうか。
私はキヤノンの撮影機材や周辺機器をあまり使ったことはないのですが、魅力的な優れた製品が多いだけになおさら、現キヤノン会長の言動にはつくづく失望してしまいました。
*ご参考(通称「御手洗ビジョン」の全文)
(社)日本経済団体連合会:2007年1月1日付政策提言/調査報告
→経団連ビジョン「希望の国、日本」
→「希望の国、日本」全文(通称「御手洗ビジョン」、PDFファイル)
*2月6日付記事もあわせてご覧ください。
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2007年01月27日
現像用暗室のある写真教室はどうですか? -子供のデジカメに反対-
*1月23日付記事と1月24日付記事に関連する“重要な補足”です。
デジタルカメラで撮るものすべては“秘密の写真”が大前提
-お子さんが写した撮影済フィルムの現像は信頼できるお店へ-
大変な事を書き漏らしてしまいました。
私は1月23日付記事「現像用暗室のある写真教室はどうですか? (その1)」でこう述べました。
これは私見ですが、大人の指導のもとであれば、写真は小学校の高学年になればもう始めても良いのではないでしょうか。機材もフィルムカメラであれば、パソコンやインターネットは必ずしも学習しなくて済みます。
しかし、それでは説明が不十分でした。
私はあえてこう補足したいのです。
≪お子さんにデジタルカメラやカメラ付き携帯は買い与えないでください≫
と。
小学校低学年以下のお子さんなら、玩具的なデジカメを保護者の目の届く範囲内でなら、持たせてあげても良いかもしれません。いわゆる「ごっこ遊び」の範疇として。
けれどもそれを、自分で撮った写真をパソコンへ転送し、そこからメール送信やネット公開もできる年令になるまで使わせ続けることには、私ははっきりと「反対」の意思表明をしたいと思います。
それはすでに単なるカメラではなく、全世界的な通信網の個人情報端末なのだといいう認識を、保護者もお子さんも持たなければいけません。カメラ付き携帯なら、なおのことです。
自分の成長に応じてより本格的なカメラを欲しがるお子さんには、およそ中学を卒業するまでの間は、私は迷わずフィルムカメラをお勧めします。なぜなら撮影済のフィルムは、必然的に現像に出したお店で第三者の(それも地域の大人の)目を通すことになるからです。そこには見出しに掲げたような“秘密の写真”はありえません。もしパソコンでの処理やメール送信、ネット公開などの必要があるなら、現像後にプリントをスキャナーで取り込めば良いのです。費用や手間が余計にかかることは、ひとまず忘れてください。
子供は、自分が撮った写真を目上の人に見てもらい、様々なアドバイスを受けることで成長できるのです。写真の技術だけでなく、カメラを通じて社会や自分自身との向き合い方、つまり家族間や友人間、地域社会の中でのコミュニケーション能力もそこから養えます。写真が見られることを意識するというのは、同時に見られたくない、見せたくないという感情も抱くことになります。それも一つの成長だし、プライバシー権など人権の大切さについて考えるきっかけにもなると思うのです。
だからこそ、撮影済フィルムの現像をどのお店に出すかはとても重要です。値段の安さや仕上がり時間の短さだけで決めることはできません。保護者の方にはできれば、お子さんの撮った写真を自分の子が撮った写真と同じように親身になって見てくれる店員さんのいるお店を、探してあげてほしいと思います。お子さんが自宅の暗室で現像、プリントする場合も、できるだけ作業に立ち会ってあげてください。そして仕上がった写真にはちゃんと目を通してあげてください。
★ご注意★
写真の現像、プリントを受注するお店及び現像所にとっては、お客さんに依頼されたサービスを忠実に行うことが仕事であり、写真の内容までチェックするのは本来の役割ではありません。写真の著作権(版権)やそこに写された肖像権などのプライバシー権、表現の自由などは当然お客さんの側にあり、お店や現像所がそれを侵すことは法に則ってありえません。仕上がった写真の利用や管理についても、責任を負うのはお客さんです。
お子さんが児童ポルノ収集の被害に自ら巻き込まれないためにも
収集した児童ポルノをネット上で交換し合うグループの摘発が、県内でも進められています。新聞などの報道によると収集はいずれも極めて悪質な手口で、被害に遭うお子さんの中には、カメラ付き携帯で撮った自分の姿をネット送信させられるような例もあるそうです。例えば、女児に成りすました犯人が匿名で子供用の出会い系サイトへ侵入し、言葉巧みに相手を誘い、あるいは脅して被害者から自写像をだまし取るというのです。
こうした犯罪は密室犯罪と同じで、被害に遭ったお子さんも保護者へは相談しにくく犯人の手がかりもつかみにくいため、これまで摘発されているのは氷山の一角に過ぎないと思われます。あまりにショッキングな事件ですが、デジタル機器で撮られた“秘密の写真”がもたらす弊害の、ほんの一例として取り上げました。くり返しますが、それは単なるカメラではなく、個人情報端末なのです。
それでは、どうしてもお子さんにデジタルカメラやカメラ付き携帯を持たせなければならない事情がある場合は、どうすれば良いのでしょうか?
この問題については、世の中でも様々な意見が交わされているようです。お子さんの成長の仕方にも一人ひとり違いはありますから、一概に解決策を見出すのは難しいでしょう。
私はまず、使用目的や条件などをはっきり決めて、買い与えるのではなく保護者の持ち物を貸し与えるという形をとることが妥当だろうと思います。もちろん、ずっと持たせたままにするのではなく、機器や保存されたデータは保護者が責任を持って管理することが前提です。その後、本人の成長を見極めたうえで譲り渡せば良いと思うのですが、いかがでしょう。
ある写真屋さんでの思い出(中学校時代)
話の内容が重くなってしまったので、少し気分転換したいと思います。たびたびで恐縮ですが、私の思い出話です。
中学校時代、当時の住まいの最寄り駅だった東武東上線成増駅は急行も止まる駅で、駅周辺の商店街も活気があり、写真屋さんも何軒か集まっていました。その中の行きつけの一軒に、現像の仕上がった写真を取りに行ったときのこと。プリントの入った袋を差し出す店員のお兄さんから尋ねられたのです。
「きみ上手いね。写真好きなの?」
それは週末に家族で日帰り旅行をしたときの、埼玉県の長瀞と秩父の三峰山で撮ったスナップや風景写真でした。
お兄さんは私の撮った写真を1枚1枚ていねいに、構図やカメラアングル、光線やシャッターチャンスのとらえ方について褒めてくれたのです。それまで私は家族の誰からもほとんど自分の写真を褒められたことはなく、本当のところ果たして素質があるのかどうか自信を無くしかけていたのです。だから、思いがけず嬉しかったですね。
お兄さんは気さくに、私の撮り方について的確なアドバイスもしてくれました。上達のための手がかりをどこへ求めて良いか図りかねていたところへ、助け舟を出してもらえたような安堵感に、これからの希望がふくらんだものです。
しかしどうしたことか、その店でお兄さんに会えたのは一度限りでした。思うに、普段は出張撮影などで不在のときが多かったのかもしれません。きっと今の私と同じような仕事をされていたのでしょう。お店は大きなスーパーのテナントで入っていたのですが、残念なことに間もなく閉店でビルごと取り壊されることになり、通うこともできなくなってしまいました。
写真のことでいろいろ悩みがあったとき、特に年少者にとっては身近に相談相手がいるというのは心強いし、励みになるものです。そうした相談窓口もカメラのデジタル化で、近頃は小さな写真屋さんから大きな家電屋さんへとすっかり様変わりしつつあるようです。そこには商品知識だけは豊富な店員さんはいるのですが、実践的な撮影のアドバイスとなるとどうなのでしょう。目の前のお客さんが普段撮る写真を見ることなしに、理屈だけでどこまで適切な対応ができるのか、私には疑問に思えるのです。
カメラメーカーさんへのお願い(独り言)
完全な機会制御式の手動カメラというのは、良くできたものはメンテナンスしながら大切に扱えば、50年以上使うことだってできます。一眼レフとなると構造が複雑で磨耗しやすい部分も多いため、長持ちさせるのはやや大変ですが、それでも30年以上使おうと思えば何とかできるものです。
メンテナンス代を考えれば、買い換えた方がかえって安いという説も確かにあります。ですが、思い出を残すために撮る写真は、時としてそれを写したとめたカメラにも思い出を宿すことがあるのです。その写真とカメラの持ち主にとっては。
画材や筆記具、楽器、スポーツ用品などは学校の授業でも使われるため、技術・家庭科で使う道具類も含めそれらをつくる各メーカーでは教材として買ってもらう場合、どのような道具に仕立てたら良いかということは常に各部署で考えていることと思います。しかしカメラの場合、少なくとも高等教育までは、生徒が授業で使う機会はほとんどありません。クラブ活動でも、残念ながら近年写真部は減少傾向にあります。
保護者の方がお子さんへそれらの教材を初めて贈るときは、子供の成長を願い、決して贅沢はさせないもののできるだけ長持ちする使いやすい道具を選んであげたいと思うのが、親心だろうと思います。
これは私のお願い、といっても独り言に過ぎないのですが、仮にもしも、もしも小・中学校に写真の授業があるとしたら、カメラメーカーさんにもどのようなカメラが教材として贈り物に喜ばれるか、一度じっくり考えてみていただけたらと思うのです。商品企画や開発、設計に携わる方々にはそれこそ我が子に、おられない方なら親戚や友人、知人のお子さんに贈るつもりで、ぜひこんなカメラを持たせてあげたいと思うようなカメラを、つくり上げてもらえたらと願うのです。
お子さんがそんなカメラと青春をともにし、いつか大人になりもう一度使ってみたとき、ああ、あのとき両親は本当に良い物を選んでくれたんだなぁと感じてもらえれば、それもまた一つの幸せなのではないかと思えるからです。
これがベスト、と言えるスタイルのカメラはなかなかできないとは思いますが、今述べたような姿勢でカメラづくりに取り組んでくれるカメラメーカーさんがどこかにあるなら、とても嬉しいことですね。
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2006年12月31日
写真の今日まで(大晦日の夜に思ったこと)
音楽表現に関わっておられる方にお伺いします。
例えばピアノ。歴史のあるポピュラーな楽器ですが、世界中のメーカーが儲からなくなったからといって一斉に生産をやめたり、修理や調律をしてくれる業者がいなくなったりするような事態を、果して想像できるでしょうか? ピアニストにとって、代わりにキーボードか何か、ほかの楽器をこれからはお使いくださいと宣告されるようなものだと思うのですけど、もし本当にそのようなことになったらどうしますか?
美術表現に関わっておられる方にもお伺いします。
日本画や書画に欠かせない和紙。その代表的な原料である楮(こうぞ)の栽培や伐採があるとき突然、何らかの事情により国際条約で禁止されたとしたらどうでしょう?
写真表現に関わっている私たちにとってこの1年間は、決して大げさな話ではなく、そのような事態に等しい現実と向き合わされた1年でした。
「カメラ年鑑 2007」(日本カメラ社刊)が先ごろ出版され、書店で手に取った私は改めて思い知らされました。フィルムで写真を撮ることが当たり前だった時代は、2006年を最後に本当に終わってしまったんだな、と。この本は、日本国内の店頭で買うことのできるあらゆる写真用品を網羅したカタログで、カメラや交換レンズ類についてはほとんどすべての現行製品を知ることができるものです。あれほど身近な存在だった35mm判フィルムを使うカメラが、信じられないくらい激減してしまったことを、誌面は如実に物語っていました。
もちろん、新製品が全く無いわけでもないのですが、ごく安い手軽なものがほんの少しと、あとは趣味性の強い高価なもの、特殊な用途のものなどに種類は絞られてしまっています。
写真を専門に教える学校では、大掛かりな機材は借りられるものの、自前でレンズ交換のできる35mm判一眼レフカメラをそろえることが、半ば入学の際の必須条件になっていました。
私の学生時代は国内外にたくさんのメーカーがあり、誰もがみな思い思いに好きなカメラを選んで、課題作品の制作や実習に臨んだものです。
どのメーカーのどんなカメラを使うか、またどのフィルムをどう現像し、どんな印画紙にプリントするかといったことが、その人の作風や撮影の姿勢に物心両面で強く影響を与えていることが少なくなかったようです。
生産中止から間もないうちなら、まだ店頭に在庫があったり、中古市場に安くて程度の良いものが流通していることもあります。今はまだそうした余韻がいくらかは残っていますが、それも時間の問題。付属品の販売や修理、調整等、メーカーのアフターサービスもいずれは打ち切られてしまいます。
私の母校の今年度のカリキュラムを、公式サイトで調べてみました。デジタル写真に関する教科が以前に比べ目に留まるようになってきましたが、まだカリキュラム全体の体系の中に組み込まれるまでには至っていないようです。来年度もたぶん、大きな変化は見られないでしょう。
来春入学する学生の皆さんは、果たしてどんなカメラを探すのでしょう。また、学校の先生方はガイダンスでどのようなアドバイスをされるのでしょうか。
気がかりなのは機材だけではありません。フィルムや印画紙、現像薬品類も不自由なく調達できるか、そのことも気になります。何しろ私の学生時代でさえ、実習や課題の提出が近づくと、校内の売店はもちろん池袋や新宿の大きな店まで、それらが一時的にですが品切れになることもあったのですから。
誤解を招かないうちにお断りしておきますが、私が比較的早い段階からデジタルカメラでの撮影を始めたのは、決して将来を見越してそれが自分の仕事にプラスになるだろうと考えたからではありません。私が初めてデジタル一眼レフ、ニコンD1Hを購入したのは2001年夏の発売直後ですが、それはあくまで趣味に使うことが目的でした。当時はまだサラリーマンで、会社を辞めることなど夢にも思わず、業務で使う機会の増えたパソコンの勉強にもちょうど良いと考えたからでした。社会人になってからはすっかり写真から遠ざかっていたのですが、パソコンを覚えコンパクトデジカメでフィルム代や現像代を気にせず写真が撮れるようになったことから、忘れかけていた撮影の喜びをもう一度味わってみたくなったのです。
最近は、私がいただく撮影の仕事もデジタルカメラによるものがほとんどになりました。ですが、写真表現の手法としてそれを見た場合、戸惑いがないわけではありません。その発表形態がプリントでもスクリーンやディスプレイ上での再生でも、カメラが捕えることのできる色彩や明暗の諧調を、どの関連機材もまだ十分引き出せるレベルにまで技術的に達していないからです。
どのような分野でもそうですが、学習のプロセスというのは先生から生徒へ、先輩から後輩へと受け継がれながら発達し、伝統ある貴重な共有財産になっていくものだと思います。「伝統は壊されるためにある」という言葉もありますが、それは絶えず創造し続けられるものだという意味の裏返しでもあります。
写真の学習プロセスが今、必ずしも崩壊してしまったとは思いません。しかし2007年からはいよいよ、かつてないような混迷を極める時代に入っていくように、私には思えるのです。
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2006年06月01日
「ふるさと」あるいは「祖国」という言葉について
教育基本法改正案をめぐる「愛国心」論議の高まりを受け、埼玉県教育局が「国を愛する心情の育成」に関して小学6年生の社会化の評価項目を対象に調査した結果、52の小学校(5月25日現在の新聞報道では45校)が通知表に盛り込んでいたことが分かりました。
「毎日新聞」 :2006年5月25日付記事
教育基本法改正:「国や日本愛する心情」の項目、通知表記載45校
小川町については、町議員の柳田たえこさんが町教育委員会で確認されたところ、「調査した結果、町内全小学校において「国を愛する心情を持つ」などを評価項目に盛り込んだ通知表はない」との回答があったそうです。
「おげんきですか 柳田たえこです」 :
2006年5月30日付記事 「愛国心通知表」
このような県内小学校の「愛国心評価」について、上田清司知事は5月30日の記者会見で、「自分がもし教師で、評価をつけろと言われたら困る。〔中略〕ふるさとを愛するのは大事だが、教えた内容を(子どもが)本当にマスターしているのかを、はかるのは難しい」という主旨の見解を示しました(「朝日新聞」2006年5月31日付記事より)
ところで私は、3月13日付記事の最後の方で次のようなことを書きました。
「卒業アルバム」に収録される写真のほとんどは、学校生活のスナップや記念の集合写真、顔写真、キャンパス風景くらいです。自分の生活のため、職業として私が撮るのはそのほんの一部分に過ぎません。
けれどもフォトグラファーとして手がけた仕事を完結させようとするなら、私はその学校から旅立っていった卒業生たちのふるさとを撮り続けなければならないでしょう。
ここでいう「ふるさと」とは、もちろん人が生まれた土地、育った土地という意味での「ふるさと」です。
しかし、私自身の経験も踏まえて考えれば、「ふるさと」あるいは「祖国」という言葉には、もっと幅広い意味や解釈も含まれるのが自然なのではないか、とも思えます。
いくつもの土地や国を自分のふるさととして深く愛せる人もたくさんいるはずですし、また人によっては長い人生を送る中で、生まれ育った土地や国を何らかの事情でどうしても愛せなくなる、という場面も経験するかもしれません。
私見ですが、「国を愛する心情の育成」で大切なのは、生徒たちに人それぞれで異なる多様な価値観や立場の違いについて気付かせ、国際的な視野で理解が深められるような環境を与えてあげることではないでしょうか。
学校とは、人々が幸福に生きていくための知識や経験、情報を蓄積し、皆で共有しあえる知恵を育む場所であって欲しいと、私は願っています。
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