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2007年02月24日
イーグルバスが小川町へも進出 (その3)
イーグルバスが取り組む不採算路線の黒字化(日高市内の事例)
3月1日より小川町駅~皆谷(かいや)~白石車庫の路線バスが、川越観光バスからイーグルバスへ移管されます。他社が運行するこのような不採算路線をイーグルバスが引継ぐのは、今回が初めてではありません。同社は昨年4月にも日高市内の赤字路線を西武バスから引継ぎ、黒字化を目指してより利用者のニーズに応じた運行ダイヤ作りに取り組んできたそうです。その要となるものが、GPSと乗客感知センサーとを組み合わせ埼玉大学と共同開発した、停留所ごとの乗客数が正確に把握できるシステム。得られたデータに基づく新ダイヤは、日高市内で4月1日から導入されるとのことです。
イーグルバス(株):新聞/雑誌 掲載記事
→「ダイヤ効率化へ 日高で実証実験」埼玉新聞(2006年4月6日付)
「読売新聞」:2007年2月23日付記事より引用
↓イーグルバス 赤字解消へ新ダイヤ
ニーズ把握で改善 乗客25%増目標
大手バス会社の撤退が続いた日高市内の赤字路線を昨年4月に引き継いだイーグルバス(本社・川越市、谷島賢社長)が、赤字解消を目指した新ダイヤを4月1日から導入する。 同社が埼玉大と共同開発した、全地球測位システム(GPS)と乗客感知センサーを組み合わせたシステムを駆使し、1年間かけて研究した「採算が取れるダイヤ」で、多くのバス事業者が赤字路線に悩む中、新ダイヤが、赤字解消の切り札となるかが注目される。
同社は、川越市を本拠地に、福祉送迎バスや市内観光スポットを回る巡回バスを運行する従業員150人余りの中小企業。
日高市内の住宅団地とJR八高線「高麗川駅」、川越線「武蔵高萩駅」、西武池袋線「飯能駅」をつなぐ2路線は、かつて国際興業(東京都中央区)が運行していたが、1995年に撤退。その後、参入した西武バス(所沢市)も採算が取れずに昨年3月に撤退し、同4月からイーグルバスが路線、ダイヤをほぼそのまま引き継いでいる。
路線バス事業への新規参入が可能になった2002年以降、県内で大手撤退後の赤字路線を引き継いだのはイーグルバスだけだ。谷島社長は「(管理人注:路線バス事業撤退の)規制緩和が生活の足を奪った。人口5万人を超す市がバス空白地帯となるのはおかしい」と参入の動機を話す。
同社は、「システム」を運行する4台のバスすべてに搭載し停留所ごとの乗客数を正確に把握。市内約5000世帯へのアンケートも行いニーズを探った。
その結果、鉄道との接続が極端に悪いダイヤ設定が多く、乗客がほとんどいない時間帯もあることなど約30の改善点が見つかった。
新ダイヤでは〈1〉鉄道との接続に配慮〈2〉利用客が見込める時間帯の運行に重点を置く〈3〉最終バスを30分から2時間遅らせる――などの工夫で新たな利用者を発掘し、現在1日約800人の乗客を1000人に増やし、年間約2000~3000万円にのぼる赤字解消を目指す。
谷島社長は「不採算路線は、全国全路線の40%と言われる。日高路線を成功させ、全国のモデルケースとしたい」と意欲的だ。
東秩父村方面の減便は避けられるか?
日高市内の事例では路線バスが住宅団地内を経由するため、ダイヤの工夫次第で乗客を増やす余地がいくらかはありそうに思えます。しかし小川町駅~皆谷・白石車庫線が経由する東秩父村は人口3,795人(2005年現在)と、過疎化が特に進んでいる地域です。行楽シーズンのハイキング利用者などを別にすれば、掘り起こせる乗客の数は自ずと限られてしまいそうです。日高市での取り組み方がそのまま応用できるか、疑問が残るところです。
東秩父村内を基点に考えた場合、利用者が小川町方面へ出かける時間帯は日中分散していても、帰りは夕方のバスに集中するということも十分想像できます。この場合、乗車率の低さから日中の便が減らされるとマイカーを選ぶ利用者が増え、結局夕方の帰りのバス利用者まで減ってしまうという悪循環に陥る心配が生まれます。単純に乗客数を把握するだけでなく、その行動まできめ細かく分析し、本当に暮らしの役に立つバス事業を展開してもらえたらと思います。
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2007年02月22日
ペンタックスが交換レンズ新製品をまとめて発表
「PMA 2007」「フォト イメージング エキスポ 2007」に出品
ペンタックスは今日、開発中及び近日発売予定のデジタル一眼レフ関連製品を発表しました。各製品とも米国最大の写真機材ショー「PMA 2007」(3月8~11日)や東京ビッグサイトで開催されるアジア最大級の写真・映像産業のイベント「フォト イメージング エキスポ 2007」(3月22~25日)で展示される模様。
ペンタックス(株):2002年2月22日付ニュース
「PMA 2007」「フォト イメージング エキスポ 2007」参考出品について
現在開発中のデジタル一眼レフカメラ関連製品を参考出品
○smc PENTAX-DA★ 200mmF2.8ED[IF] SDM(仮称)
○smc PENTAX-DA★ 300mmF4ED[IF] SDM(仮称)
○smc PENTAX-DA★ 60-250mm F4ED[IF] SDM(仮称)
○smc PENTAX-DA 35mm F2.8Macro Limited(仮称)
ほか、小型ストロボ、
大型イメージセンサー採用デジタル一眼レフシステムなど
ペンタックス(株):2002年2月22日付ニュース
デジタル一眼レフカメラ専用設計の高性能レンズ新シリーズ
「smc PENTAX-DA★」レンズ
第一弾としてズームレンズ2機種を発売(近日発売予定)
↓管理人は2本とも予約しました。
卒業、入学シーズンにどうか間に合いますように。。。
○smc PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8ED AL[IF] SDM(オープン価格)
○smc PENTAX-DA★ 50-135mmF2.8ED[IF] SDM(オープン価格)
ちょっと残念、だけど楽しみ
ペンタックスユーザーの私には朗報なはずの今日の発表ですが、さて一体何が「ちょっと残念」なのでしょう。1月7日付記事で私は次のように書きました。
(35mm判フィルム)一眼レフにも使えるような交換レンズの発売を今後も予定しているのが、かのペンタックスです。
最新シリーズのひとつ、D FAレンズシリーズはオートフォーカス式のデジタル撮影対応設計ですが、マニュアルフォーカスの操作性も見直され、かつ30年以上前の35mm判フィルム一眼レフにも何ら不自由なく使用できるという優れもの。デザインも「なんとなく、クラシカル」です。今はまだ、2年ほど前に発売されたレンズが2本あるだけですが、メーカーの「レンズ開発ロードマップ」(PDFファイル)によれば、今年は少なくとも望遠レンズ2本が追加される模様です。
実は、今日発表されたデジタル一眼レフ用DAレンズシリーズの200mm及び300mm望遠レンズこそ、昨年秋の時点で35mm判フィルム一眼レフ兼用のD FAレンズシリーズの新製品として、「レンズ開発ロードマップ」に記載されていた交換レンズだったのです。その計画がAPS-Cサイズのイメージセンサーに特化したデジタル一眼レフ専用設計に変更された時点で、ペンタックスの今後の方向性もデジタルカメラに専念していくことがはっきり示されたわけです。
私は、自分がそうだったということもありますが、小中学生の写真入門用のカメラには、安価な35mm判フィルム一眼レフが最適だろうという考えを今も持っています。そのことは1月23日付記事でも書いた通りです。願わくばペンタックスに、そのような製品開発の担い手であり続けて欲しいと思っていたのですが、デジタル一眼レフシステム開発との両立はやはり難しいということなのでしょう。「ちょっと残念」と書いたのはつまり、私の願いが叶えられそうにないことが分かったからなのですが、それでも意欲的な新製品がこうして発表されることは、1ユーザーにとって楽しみなことには違いありません。
ところで、デジタル一眼レフ発売以前から私が所有しているペンタックスの交換レンズ群ですが、軒並み製造終了となり、中古市場でも在庫が枯渇していることから購入時の価格をはるかに上回る高値が付けられているものが何本かあります。それらを私はごく身近な道具として値段も意識せず普段から持ち歩いているのですが、もう代替品の開発はされないとなると何だか使うのが怖くなってきました。もし壊したり無くしたりしたら、買い直すことはもうできないと覚悟するべきなのでしょう。フィルムで撮る仕事はまだまだ無くなったわけではないので、この緊張はかなりのストレスになりそうです。
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2007年02月21日
イーグルバスが小川町へも進出 (その2)
小川町駅~皆谷(かいや)・白石車庫線が
3月1日よりイーグルバスにて運行開始
運賃(変更なし)や時刻表などが公開されました。
詳細は次のページからPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。
問合せ先はイーグルバス都幾川営業所(TEL 0493-65-3900)です。
小川町公式ウェブサイト:2007年2月15日付新着情報
→「小川町駅~皆谷・白石車庫線」イーグルバスにて運行開始。
(△PDFファイル)
2007年02月08日
イーグルバスが小川町へも進出 (その1)
*3月1日より小川町駅~皆谷・白石車庫線がイーグルバスにて運行開始
されます。運賃、時刻表は2月21日付記事からダウンロードできます。
小川町駅~皆谷(かいや)~白石車庫の路線を移管
小川町駅に乗り入れる路線バスには現在、東武系列朝日自動車グループの川越観光バス(川越観光自動車)、国際バス(国際十王自動車)、別グループのときがわ町代替バス(武蔵観光)があります。
各バス事業者が受け持つ路線は次の通りです(小川町駅起点)。
川越観光バス:時刻表一覧
・小川町駅~皆谷~白石車庫
・小川町駅~みどりが丘(循環)
・小川町駅~小川パークヒル
国際バス:時刻表問合せ先
・小川町駅~県立循環器・呼吸器病センター~熊谷駅
ときがわ町代替バス:時刻表一覧
・小川町駅~明覚駅
うち、小川町駅~皆谷~白石車庫の路線が川越観光バスからイーグルバスへ、近く移管されることになったそうです。
「おげんきですか 柳田たえこです」:2007年1月20日付記事
→小川~白石車庫間のバス運行について
地域の付加価値を高める
イーグルバスの路線バス事業ノウハウ
残念ながらこれまで、東武系列の路線バス事業は本業である鉄道の連絡役に過ぎませんでした。あくまでも鉄道に代わる輸送手段、あるいは鉄道の駅へ利用者を集める手段に徹した位置付けで、地域交通の担い手としての役割は他の路線バス事業者やタクシー会社等へ譲る経営方針を通してきたのです。
比較的路線バスの需要が多い都市近郊では、例えば国際興行バスや西武バスなどが路線網を東武系列バスと上手く補完し合い、地域の需要にきめ細かく応じる例が見られます。ところが小川町などのローカルエリアでは、路線バスに関しては東武系列バスの寡占状態が続き、自家用車の普及した現在、従来の経営方針では利用者離れが抑えられなくなっています。そのため東武鉄道は近年、こうしたローカルエリアの路線バス事業を本社直営から系列会社の朝日自動車グループへ移管し、サービスの見直しを図ってきました。しかし一部ダイヤに若干の改善は見られたものの、車庫や営業所の統合など、運賃抑制を図ることだけで今は精一杯のようです。
イーグルバス(株)は1980年に埼玉県川越市で創業した比較的新しい会社です。当初は送迎バスや福祉バスなどの事業から出発し、その後観光バス事業に進出、2003年からは路線バスや高速バスの運行も開始しました。親会社が交通事業者ではなくイーグルトラベル(株)という旅行業者であることから、業界でもかなりユニークな存在として注目を集めています。路線バス事業へ進出したのも、地元川越市の観光客向けに始めたクラシックなボンネットスタイルの小江戸巡回バスの成功がきっかけになっています(経営理念)。
地域の潜在的な需要を見極めるイーグルバスのノウハウは評価が高く、最近ではときがわ町代替バスの運行を一部請け負うほか、武蔵嵐山駅や明覚駅を起点に路線バス網(PDFファイル)を広げ、成果が期待されています。
小川町駅~皆谷~白石車庫の路線を川越観光バスから引継ぐことについては、元々不採算路線であることから課題も多いと思います。車両や乗務員のローテーションを円滑にするためにも、今後は他の路線バス網との再編も検討されるのではないでしょうか。
小川町駅~小川パークヒル~武蔵嵐山駅のバス路線開設を
小江戸巡回バスのような観光、福祉共用の「小京都巡回バス」も
イーグルバスの武蔵嵐山駅~嵐山郷~県立循環器・呼吸器病センターの途中には志賀児童公園前停留所がありますが、そこから川越観光バスの小川町駅~小川パークヒルの終点とはほんの1Kmほどしか離れていません。この区間を結ぶだけで私の暮らす小川パークヒル(東小川)の利便性はずっと高まるのですが、これまではバス事業者も関係する自治体も異なることから、実現まで相当時間はかかるだろうと覚悟していました。
実はこの案を、私は1住民の立場から、2003~2004年に設置された比企地域3町3村合併協議会の住民説明会会場(小川町と嵐山町の2ヶ所)で新市町づくり計画に関する意見として述べたことがあります。その趣旨は、合併協の議事録や資料にも記載されました。小川町と嵐山町とを含む合併が前提であれば、合併特例事業として県や国からの支援も得やすいはずだと考えたからです。しかし協議は、諸般の事情により残念な形で破綻してしまいました。
小川パークヒルの分譲が始まった当時、武蔵嵐山駅にはまだ大型車両が乗り入れできる駅前広場はなく、バス路線は小川町駅方面にのみ開設されました。もとより分譲は小川町域の事業であり、路線バス誘致には小川町駅周辺の商業や産業を振興する意図も多分に含まれていただろうと思われます。
しかしイーグルバスが小川町へも進出しようとしている今、状況は大きく変わってきました。小川町駅~小川パークヒルの路線もイーグルバスへ移管されれば、武蔵嵐山駅起点の路線網と合わせて再編した方が同社の経営面でも合理化が図れるように思います。小川パークヒルの住民の流れが小川町駅から武蔵嵐山駅方面へ変わることは否めませんが、利便性向上で地域の付加価値が高まることにより、人口の定着が期待できるメリットを町にも重んじてもらえればと思います。
なお、小川町駅を中心に小江戸巡回バスのような「小京都巡回バス」が、武蔵嵐山渓谷や埼玉伝統工芸会館(道の駅おがわまち)、おがわ温泉花和楽の湯(小川赤十字病院側)、東秩父村和紙の里、さらに埼玉県立川の博物館(現在は東秩父村営バスが乗り入れ)や秩父高原牧場などを巡るようになれば、観光客も今よりもっと訪れやすくなるでしょう。平日には、福祉巡回バスとしての活用も期待できるはずだと思います。
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2007年02月06日
東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会が公式サイト開設
寄居町、小川町へのホンダ新工場進出を契機に
1969年設立の東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会の公式サイトが、2月1日に開設されました。同サイトは同盟会事務局のある小川町の公式サイトと同じスペース内で運営されています。
小川町公式ウェブサイト:2007年2月1日付新着情報(抜粋)
→東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会の
ホームページができました。
東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会では、寄居駅までの全線複線化促進のPR活動としてホームページを作成しました。複線化促進活動にみなさまのご理解ご協力をお願いいたします。
問い合わせ先:政策推進課 政策推進担当
電話 0493-72-1221 内線214・215
小川町公式ウェブサイト:東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会
→複線化の必要性(抜粋)
東上線は池袋を起点として終点の寄居町まで埼玉県の中央を西北に伸びており、主に通勤・通学の足として沿線住民の重要な役割を果たしています。
この地域では、「東松山駅」までの複線化が昭和43年に完了し、その後昭和46年には「森林公園駅」開業、昭和51年には同駅までの複線化も完了、更に平成14年には「つきのわ駅」の開設と「武蔵嵐山駅」までの複線化が図られ、平成17年3月には嵐山信号場までが複線化され、利便性が向上したところですが、「嵐山信号場」~「寄居駅」までは未だ単線のままです。
一方、ホンダの寄居町及び小川町への新工場進出により、交通アクセスとしての東上線の需要の増大が見込まれることからも、ますます複線化の必要性が高まっています。
小川町公式ウェブサイト:東上線東松山・寄居間複線化促進期成同盟会
→期成同盟会について(抜粋)
★目 的★
東上線東松山・寄居間複線化期成同盟会は寄居駅までの全線複線化を促進し、更なる沿線地域の経済開発と地域住民の福利増進に寄与することを目的とします。
★構 成★
東松山市・滑川町・嵐山町・小川町・ときがわ町・鳩山町
・東秩父村・寄居町・深谷市の市町村長及び議会議長
★役 員★
会 長 小川町長
副会長 嵐山町長・寄居町長
監 事 ときがわ町長・東秩父村長
事務局 小川町
複線化で全線にわたる柔軟なダイヤが可能に
ホンダは昨年、寄居町富田地区に四輪車新工場を、小川町ひばりが丘にエンジン新工場を建設すると発表しました。稼動は寄居工場が2010年、小川工場はそれより早く2009年が予定されています(2006年12月20日付記事参照)。両工場を合わせ投資額は県内でも過去最高と報じられていることから、鉄道、道路とも交通量の増大は容易に想像できます。特に小川工場の建設計画は、低燃費車エンジンの需要急増を受け浮上したもので、東武鉄道が住宅分譲用に取得していた土地を急遽転用することで実現されるものと報じられています。東武鉄道にとっても、複線化事業を進めやすい環境が整ってきたと言えそうです。
複線化の効果ですが、嵐山信号場~小川町駅間を複線化するだけでも、現在森林公園駅折り返しの電車を小川町まで延長運転でき、利便性が向上します。さらにその先の小川町駅~寄居駅間との接続も柔軟に対応できることから、運転速度のアップと併せ全線にわたる所要時間短縮が可能になります。また、万一ダイヤが乱れた場合でも速やかな回復が期待できます。
東上線の最高営業速度は100km/hですが、これは最も製造年度の古い車両の性能に合わせてもなお、十分余裕のある設定です。しかも現状では、実際に最高速度を出すときはそれほどないのです。東上線は首都圏の鉄道でも、かなりのんびり走っている電車だと言えるでしょう。この事情について分かりやすく説明すれば、急いでも結局、単線区間で反対方向から来る電車を待たされることになるので、時間調整しながら走らざるを得ないダイヤパターンになっているのです。そうした状況が解消するため、すでに複線化と運転本数の増加が図られている区間の利用者にとっても、残る単線区間の複線化には十分メリットがあることになる訳です。
ダイヤ改正のタイミングは2008年と2012年
東上線は現在、和光市駅で東京メトロ有楽町線と相互乗り入れ運転をしています。来年の2008年6月には、途中の(新線)池袋駅から新宿3丁目駅を経て渋谷駅へ至る東京メトロ副都心線(旧称13号線)も開業し、その区間への相互乗り入れも開始されます。
東京メトロ:2007年1月24日付ニュースリリース
→東京メトロ13号線の路線名称が『副都心線』に決定!!
~あわせて新設した7駅の名称も決まる~
さらに2012年には、渋谷駅で副都心線と東急東横線とが接続。同時に横浜方面、元町・中華街駅までの相互乗り入れも開始される見込みです。
東急電鉄:鉄道情報【大規模改良工事】
→東京メトロ13号線との相互直通運転に伴う東横線渋谷~横浜間改良工事
なお、西武鉄道でも池袋線などで同様の相互乗り入れを計画しています。
2008年と2012年には、これら新しい相互乗り入れ運転の開始に伴い、東上線でもダイヤの大改正が予想されます。小川町駅までの複線化をこうしたタイミングに合わせるなら、2008年ではもう時間がないので、ホンダ寄居工場稼動後の2012年に合わせるのが合理的だと考えられます。
課題は小川町駅の改良。工事は2段階?
小川町駅まで複線化するには、まず駅施設の改良をしなければなりません。
現在、同駅の東上線乗り場は4番線ホームまであり、その点で不足はありません。課題は、全てのホームへ上り方面から10両編成の電車が到着できるようにすることです。それには、今の駅舎を移転してホームを延ばし、下り方面折り返し電車専用の1番線を上り方面へつなげる工事が必要になります。そうすることで、複線化と併せてより柔軟に電車が増発できるようになるのです。駅の下り方向にある引込線は将来、複線区間の延伸に伴い下り本線への転用が予想されます。引込線に電車を退避させホームを空けることができなくなるので、その分1番線へも上り方面から電車が到着できるようにする訳です。
今の駅舎の移転先ですが、小川町では以前から小川町駅の橋上駅舎化を検討しています。しかしこの事業は、北口広場の新設や南口広場の改良なども伴う比較的大規模なものになります。仮に5年以内に複線化するとなると、時間的にも予算的にも工事が間に合わない心配があります。そこで、長期的にはやや不経済ですが、駅舎の移転工事は2段階にした方が無理はないだろうと考えました。最初の移転先は橋上ではなく、例えば南口広場の西側駐車場付近とし、コンビニエンスストアなど店舗との同居も検討案に含めてはどうかと思います。
駅北側には県立小川高校があり、その敷地を避けると北口広場はホームから大分離れた場所になりそうです。小川高校西側に隣接した敷地が毎年、小川七夕まつりの臨時無料駐車場に利用されていますが、その辺りになるでしょうか。そこまで長い連絡橋を造るより、橋上駅舎と一体化した広い人工地盤を線路上に設けてはどうかという案もあると思いますが、建設費や維持費が町の大きな負担になることが心配されます。
小京都に小川町駅? 東京都にも小川町駅? 名前に工夫が必要
東武東上線と東京メトロ有楽町線、同副都心線との相互乗り入れ運転が活性化すると、小川町駅発着の地下鉄直通電車も運転されるようになるかもしれません。その場合、困った問題が生じることになります。それは、地下鉄にも同じ名前の小川町駅(都営地下鉄新宿線)があり、乗り慣れない乗客が東上線直通小川町行電車を間違えて利用する心配があるのです。慣例ではこうした紛らわしさを解消する場合、どちらかの駅名改称で対応する事例が良く見られるのですが、私は観光客への宣伝も兼ね、東上線の方を「小京都小川町駅」に変えてはどうかと考えました。ほかにも武蔵京都、秩父高原口など候補はいろいろあると思います。
東上線の電車は2012年に、副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線経由で元町・中華街(山下公園)駅まで直通運転を開始する見込みです。小京都小川町駅と元町・中華街駅との間で利用の見込める時間帯に直通運転を実施すれば、東上線の観光路線としての価値も高められそうな気がします。これまで小川町にあまり馴染みのなかった東急沿線の利用者も、観光客として呼び込むチャンスになると思います。西武鉄道も同様の直通運転を予定しているので、そこは競争もありますが、協業で観光周遊ルートを開拓すればさらに面白くなるでしょう。
*ご参考(観光周遊ルートの私案)
・西武鉄道の特急「レッドアロー号」(新造)を6社間で共同運行する案。
(一部駅のみ記載。逆方向もあり。)
元町・中華街→(みなとみらい線)→横浜→(東急東横線)→渋谷→(東京メトロ副都心線)→小竹向原→(東京メトロ副都心線・有楽町線)→和光市→(東武東上線)→小京都小川町→(東武東上線)→寄居→(秩父鉄道)→長瀞→(秩父鉄道)→秩父→(秩父鉄道)→御花畑→(西武秩父線・池袋線)→飯能→(西武池袋線・西武有楽町線)→小竹向原→(東京メトロ副都心線)→渋谷→(東急東横線)→横浜→(みなとみらい線)→元町・中華街
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柳沢発言に見る「産む機械、装置」とはどのようなものか?
*2月4日付記事の続きです。次の各記事へトラックバックします。
「J-CAST ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
「livedoor ニュース」:2007年2月5日付記事
→橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁
そもそも、「産む機械、装置」とはどのようなものか?
1月27日に松江市で開かれた自民党県議の後援会の集会で柳沢厚生労働相が発言した内容について、非難の声が高まっています。
「朝日新聞」:2007年1月28日付記事(抜粋)
→「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
この件について柳沢厚労相は、次のように釈明しています。
「朝日新聞」:2007年1月30日付記事(抜粋)
→「支持率下がったら本当に残念」柳沢厚労相が釈明
柳沢厚労相は30日の閣議後の記者会見で、自らの発言が「非常に不適切だった」と改めて陳謝し、内閣支持率が下がる可能性については「もしそういうことがあれば、本当に残念ですし、大変申し訳ない」と話した。「人口推計を説明するためにそういう表現をしてしまった。一般的にそういう考え方をもっているわけでは全くない」と述べ、国会での議論を通じ釈明する考えを示した。
「人口推計を説明するために」「産む機械、装置」という表現をしたそうですが、少子化問題を考える上で果たして分かりやすい説明に結びつくのでしょうか?
仮に受精卵を出産の段階まで育てる機械が開発されれば、例えば絶滅が心配される動物の繁殖などに応用することはできそうです。しかしその後、どう野生へ返すかについては、自然環境や生態系のバランスとの関連について慎重な調査や議論が必要だろうと思います。さらにそれを人の不妊治療へ適切に用いることは可能かとなると、倫理上、社会上、様々な観点から極めて難しい問題をかかえることになりそうです。
「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらう」という柳沢発言は、そのまま受け止めれば機械の改良、つまり製造費や維持費の削減、自動化、小型軽量化等を図っていけば少子化問題も解決する、という説明になります。ところが、私たちも産まれてくる子供たちも機械ではないからこそ、少子化問題の解決がなかなか思うように行かず、多くの悩みを抱えているのです。そもそも、性格上実用化が極めて難しい機械に例えること自体、あまりに軽率だと言わざるを得ません。説明を分かりやすくするどころか、かえって問題の焦点が見えにくくなってしまったのではないでしょうか。
「一人頭で頑張ってもらう」、というのは立派な正論だと思います。もっとも、ここで言う「一人頭」には本人が自ら望んで加わるのが自然な営みです。実際、私も身近な人たちから、独身で子供もいないことを心配していただくことがあります。“身近な人たち”の心配だからこそ、深く身に染みるものです。
今回の講演は、「年金や福祉、医療の展望」がテーマだったそうです。私見ですが、柳沢氏には“厚労相の立場で”自らの方策を啓蒙し、問題の焦点を分かりやすく説明する役割が期待されていたはずではないでしょうか。
その能力と人選の責任が今、厳しく問われているのだと思います。
よみがえる「蛍の里」(埼玉県比企郡小川町)
私の自宅のすぐ側、小川町中爪内洞沢(うちぼらざわ)の谷津は、ようやく「蛍の里」として知られるようになりました。去年の夏は過去最大規模のゲンジボタルの群舞が見られ、遠く県外からもたくさん見学の人たちが訪れ賑わいました(2006年7月8日付記事参照)。
1950年代までこの谷津の小川や田んぼでは、夏の夜になると「提灯いらず」と言われたほど多くの蛍が見られたそうです。それが農薬の影響で次第に姿を消し、ついには減反政策もあって田んぼは荒地に変わってしまったのです。
今はこの谷津にお住まいを移されている地元ご出身の清水浩史さんは、30年も前から荒地の整備に取り組んでこられました。その甲斐あって元の美しい環境はもどりましたが、多くの野生動植物が復活したにもかかわらず、なかなか蛍たちは帰ってきてくれませんでした。そこで6年前、30匹だけほかの場所から蛍の幼虫を小川へ放したところ、彼らが仲間を呼んできてくれたのでしょうか、年々その数は増えていったそうです。
幻想的な蛍の光は、雄と雌とが呼び合う求愛行動だそうです。清水さんは仲間の遠ノ平山遊会の皆さんとともに、小川の草陰に産み落とされた蛍たちの卵をやさしく見守り、幼虫が水から上がって土の中で蛹(さなぎ)になる初夏には、踏み荒らされないよう訪れる人にも注意を呼びかけるなど地道な保全活動を続けられています。
△春爛漫の内洞沢(2005年4月中旬撮影)
すぐ側を走る東武東上線の車窓からも、蛍の生息地は良く見えます。
△内洞沢に舞うゲンジボタルの光跡(2005年6月24日、21時15分頃撮影)
清水さんたちは、単に蛍の観光名所を作りたいのではありません。蛍も人の暮らしも含め、たくさんの動植物で構成された豊かな生態系を取りもどそうとされているのです。そのため、命の源である小川の水源地を常に監視し、保水力のある山林を産廃処理施設開発から守るため自費で買い取って手入れをするなど、並々ならぬ努力をされています。
蛍の幼虫の餌はカワニナなどの淡水産貝類ですが、その数が少なくても多過ぎても生態系全体のバランスが崩れるので、人工的な飼育は極力避け、環境整備を中心に活動計画を立てられているのだそうです。
清水さんにお会いするといつも、蛍にまつわるいろいろなお話を聞かせていただくのですが、彼らを産卵装置に例えるようなお話はうかがったことがありません。分かるのは、水源地や豊かな生態系のバランスを守ることの大切さです。
自然で飯が食えるか!?
「自然で飯が食えるか!?」というような台詞が、1960年代の日本でしばしば聞かれたそうです。今でもそんなことを言う人はおられるかもしれません。
人の暮らしを含めた自然の循環も、また経済の循環も、どうすれば円滑にできるかは根本的にあまり違わないように思えます。
私たちの暮らしの源になる食料も資源もエネルギーも、結局のところ自然界からしか得ることはできないのですから。自然が飯そのものなのです。
*2月4日付記事へもどる。
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2007年02月04日
柳沢厚労相と御手洗経団連会長(キヤノン会長)の発言に失望
*2月6日付記事もあわせてご覧ください。
柳沢厚労相の発言、「女性は子どもを産む機械」!?
先日、所要で都内へ出るため最寄の東武東上線小川町駅へ向かいました。駅に着くと、ちょうど町議員の本多さんと柳田さんが駅頭宣伝の準備をされているところでした。私の暮らす八和田地区の本多さんや千野さん、柳田さんも含め町議員の皆さまには、昨年秋に実現した八和田学童保育クラブ開設の際にはたいへんお世話になりました。八和田小学校には私の妹夫婦の子供、姪のNaoちゃんとその弟のToshi君が通っていて、妹も学童開設のためアンケート調査や署名運動に携わっていました。
久しぶりにお会いしてあいさつを交わしているとき、「今日最初の受取人です」と1枚のチラシをいただきました。そこには次のようなタイトルが大きく書かれていました。
柳沢発言「女性は子どもを産む機械」
予算審議前に大臣罷免を
問題になったのは1月27日、松江市で開かれた自民党県議の後援会の集会で柳沢厚生労働相が発言した内容です。「朝日新聞」では次のように報じています(抜粋)。
「朝日新聞」:2007年1月28日付記事(抜粋)
→「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
このような発言に対し安倍総理は厳重注意に止めましたが、それだけでは済まされないと、与野党双方から非難の声が上がっています。
私もこのような例え方には強い不快感を禁じ得ません。「年金や福祉、医療の展望について」の講演に相応しくないばかりか、厚労相としての自覚に全く欠ける言動です。「一人頭で頑張ってもらうしかない」のは、子育て世代なら男女とも重々承知です。この世代には出産や子育ての不安、両親の、そして自分たちの老後の不安が重くのしかかっています。お勤めの方はもちろん、自営業者の家庭でも深刻な悩みをかかえている場合は少なくないのです。声だけの励ましなら、私にはただのお節介にしか感じられません。
「おげんきですか 柳田たえこです」:2007年2月3日付記事
→やはり、おやめになる方が・・
「毎日新聞」:2007年2月5日付記事(抜粋)〔2月5日追記〕
→政府・与党:厚労相続投で野党押し切る構え 選挙結果受け
4日投開票の愛知県知事選、北九州市長選で与党推薦候補が1勝1敗となった選挙結果を受け、政府・与党は「クビはつながった」(自民党幹部)として柳沢伯夫厚生労働相を続投させ、野党を押し切る構えだ。ただ、圧勝を期した愛知で与党推薦候補が接戦に持ちこまれるなど「女性は産む機械」との発言が投票結果に影響したとみられるだけに、野党側は対決姿勢を崩していない。
〔中略〕厚労相発言への世論の反発や閣僚の事務所費など「政治とカネ」をめぐる問題で与党が引き続き厳しい国会運営を迫られることは確実で、自民党内には、春ごろと見込む予算案成立後の内閣改造を求める声もある。
御手洗経団連会長が柳沢厚労相を擁護
柳沢厚労相の発言に関して御手洗経団連会長(キヤノン会長)は、「謝罪で十分」との認識を記者会見で述べています。
時事通信「時事ドットコム」:2007年1月31日付記事(抜粋)
→柳沢厚労相、進退に及ばず=謝罪で十分-御手洗経団連会長
日本経団連の御手洗冨士夫会長は31日、大阪市で記者会見し、「女性は子供を産む機械」と発言した柳沢伯夫厚生労働相の辞任を求める声が与党内からも出ていることについて、「すぐに謝罪、訂正しているので、それでいいのではないか。進退をどうのこうのということにはならないと私は思っている」と述べ、辞任する必要はないとの認識を示した。
御手洗会長は同相の発言の真意に関し、「多分、分かりやすく説明しようとして不用意な言葉が出たのではないか」と擁護した。
こうした擁護の背景には昨年12月、御手洗会長が柳沢厚労相へ「朝日新聞」の次の記事(抜粋)で報じられているような要請をしたこととも関連がありそうです。
「朝日新聞」:2006年12月11日付記事(抜粋)
→「残業代ゼロ労働」導入を要請 経団連会長、厚労相に
日本経団連の御手洗冨士夫会長と柳沢厚生労働相らが11日、東京都内のホテルで懇談し、労働法制見直しなどについて意見交換した。経団連側は、一定条件の会社員を労働時間規制から外し残業代を払う必要がなくなる「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入のほか、派遣労働者の期間制限や雇用申し込み義務の廃止などを要請した。
御手洗会長の叔父は
キヤノンカメラ初代社長にして元産婦人科医
御手洗冨士夫会長の叔父にあたる人に、キヤノンの創業者の一人、御手洗毅キヤノンカメラ(現キヤノン)初代社長がいます。御手洗毅さんは小さな町工場から出発したキヤノンの前身、精機光学研究所を資金面でも経営面でも強力に支え、1945年に敗戦の影響で一時解散に陥った会社を再び大企業へと押し上げた功労者です。その前職が産婦人科医だったこともあり、社員へ家族の健康の大切さを説いて「G・H・Q(Go Home Quickly~早く家へ帰れ!)」などの標語を掲げられたことでも有名です。そのような方が今もご健在なら、女性を「産む機械、装置」に例えた先の発言をどう思われたでしょう。
キヤノン(株):キヤノンカメラミュージアム|歴史館(長編物語)
→キヤノンカメラ史1937-1945 御手洗毅 代表取締役に就任
御手洗冨士夫会長の柳沢厚労相を擁護する発言を聞くと、叔父さんから一体何を学んできたのか疑問に思えてなりません。一連の労働法制見直しなど、初代が掲げた「Go Home Quickly」の標語に反する行いではないでしょうか。
私はキヤノンの撮影機材や周辺機器をあまり使ったことはないのですが、魅力的な優れた製品が多いだけになおさら、現キヤノン会長の言動にはつくづく失望してしまいました。
*ご参考(通称「御手洗ビジョン」の全文)
(社)日本経済団体連合会:2007年1月1日付政策提言/調査報告
→経団連ビジョン「希望の国、日本」
→「希望の国、日本」全文(通称「御手洗ビジョン」、PDFファイル)
*2月6日付記事もあわせてご覧ください。
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